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2019年5月21日 (火)

BellezzaとBellagio その2

BellezzaとBellagio 

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不動産開発会社のGapura Primaの決算発表があり、2018年の純利益372億ルピアの11%を配当に回すというもので、小生は又、新たに不動産デヴェロッパーのニューフェースが現れたのかと思い、半日も掛かって調べたあと、最も信ずべき情報は自分の2012年(5月15日)のブログにありそれは「BellezzaとBellagio」と言うものでBellezzaはPermata hijauにありBellagioはMega Keninganにある高級感のある複合ショッピングプラザでGapura Prima社が保有している姉妹プラザであるとちゃんと記していたのだ。 そして二つとも見学しちゃんと寿司屋と日本料理店を利用しているのだ

http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/bellezzabellagi.html

以下は今日半日で得た情報を序に補足しておく。

GP社は正式にはPT. PERDANA GAPURA PRIMA.Tbkという上場会社であって、別のニュースによると2016年にForbes誌でtop 50 Best Performing Listed Companies in Indonesiaとして表彰されている。ところがこの会社のホームページはヒットせず辛うじて別の会社のペイジにこの会社のFinancial Reportがありダウンロードをクリックしても、ダウンロードは成功しなかったり、何かはっきりしない会社と言う印象が強い。 色々サイトがあるが小生が決めつけたこの二つが姉妹プラザだと再確認できるサイトには行きあたらず例えば不動産仲介会社のRukamenが挙げた同グループのプロジェクト・リストは以下の様で二つの内一つはあった。

Bellevue Place :Apartemen(MT. Haryono Kav. 21, Tebet、KAOの向かい)

Bailey's Lagoon:(Tangerang)

Bogor Icon:Apartemen Bogor ( Bukit Cimanggu City)

Bhuvana:Apartemen (Bogor)

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Bellagio:Lifestyle Mall & Office Park (Mega Kuningan)

Great Western Resort:Apartemen (Seprong) 

GP Plaza:Apartemen (Slippi)

MT Haryono Square:Mixed use  

このグループは、Gunarso Susanto Margonoが 1980年代に起こした事業で今まで30プロジェクトがあるとの情報はあったので他にもあるはずだ。

Bisnis.com などでApartemen Tower MontblancやTower Costello、BTC City、Bekasi Timurなど断片的には掴み得る。ここで果たしてGapuraはブカシの高速添いで最近プラザを作った会社ではないかと思ったがそれはブログでMetlandを紹介していた。

 

Btccity-montblancBTCはそこより先のMitra病院のすぐまた先のGTを出た近くである。

所で今のグループはG.S.Margonoの一人息子のRudy Margono が率いているが1970年生まれタルマネガラ大学後コロラドの大学にも留学している。こちらを紹介したサイトにはBellezia in Permata Hijauがでているがちょっと綴りは違う。会社の上場名はGPRAだが、どうしても会社のホームペイジは現れない。このパソコンだけだろうか。

2019年5月16日 (木)

jakartan.cocolog-nifty.com/blog/

http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/ja

https://nishimikyohei.hatenablog.com/

 

このブログにはリンクが張れないのかな

2019年5月14日 (火)

トリサクティ悲劇の画策者

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今日はスハルト退陣となったジャカルタ動乱の日であった。何となく開いたIDNタイムスにヘッドラインが“98年の活動家の証言で見るウイラントとプラボオのリアクション”と言う記事があったのでそれを掻い摘んでみる。

IDNの取材で証言するのは当時のトリサクティ大学の自治会(senat)の長で現在は98年同胞団(Paperti)の会長のヘンドロ氏である。

まずはこの動乱の壮大な劇は裏側に凄い頭の良いものが仕組んだとものとの断定で最初の学生への射撃命令を発したものであり、それは又警察や陸軍等の下級将校ではなく国軍の4星将軍であるはずだということだ。その上射撃はゴゴ5時から夜9時まで停止しなかったとも証言する。

二人とも大将でありその一人のプラボオは戦略予備軍司令官(Pangkostrad)を解任され、1999年になってやっと 国会のPANSUSの聴聞に応じたが、その時ヘンドロ達はプラボヲの家族とも会うことが出来た。彼はだれが撃ったかについて答えはなく彼の眼には涙があった  

Pansusが召喚した者に、あと、Timur Pradopoが居たが彼はジャカルタ西警察署長で彼はヘンドロに記憶を呼び覚させてくれた。

トリサクティ大学の15,000人の学生が国会に集まる途上警察のバリケードに阻止されていた。従い集団は10時に出発し国会へのロングマーチを開始し夕方5時にTimorとネゴを開始したが5時半になっても埒があかず我々は破壊行動に出たことを思い出させた。トリサクティを警戒する治安維持の職務からTimurは、何度もその後処理を聴取されるためPansusから召喚された。

彼と会ったとき彼は寂しそうに見えた。本当に彼は私に“これはあなたと私の問題ではなくそれは民族の歴史の進展の問題だとよ”と言うだけであった。

私は彼の警察でのキャリアについて考えたことはないが彼は誰が命令したかを言い残した。それは端っこは同じだ(ujung-ujungnya sama)と言い顔をなぜて口をつぐんだ。

2003年になってウイラントは政党を創設するために意欲を見せ我々は彼の自宅に呼ばれたことがあった。ヘンドロはそのHanura党(人民良心党)として知られる党への参加を誘われた。

時刻は朝の7時であったが彼に計画を聞くと大統領になるためと答えたので“その前に色々知りたいことがある、だれが私の友人達を撃ったのだと聞いた。彼はすぐ真剣になり、自分の利用する政敵は多いので大統領になる積りはないといった。ヘンドロはそういうことだから政党に参加する積りもないしそれでわかるだろう、彼は誰が居たかを知っていたのだよと言った。

解かりにくく書かれているので要領を得ないが、ついこの間、堂々と大統領選に出たプラボオも未だ完全な嫌疑は消えてないのであろか。

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2019年5月13日 (月)

タムリン道路の時計塔

Tugu Jam Thamrin  

Sinpangtugujam ジャカルタのメインロード、タムリン通りに立つTugu Jam Thamrinと言うのが目についた。タムリン時計塔であるが、日本語の塔の通りのTuguには何か記念碑みたいなニュアンスが加わる。ジャカルタには記念塔が溢れており、この紹介文として小生は「独立記念塔徹底的研究」やオランダ遺蹟の記念塔などを記し66ケ所を確認したことがある。その時その種別としてMonumenは歴史の事象を芸術的に残す記念塔であり、Patungは人物像、Tuguは若干芸術性は低い記念碑と区分できそうだとしておいた。

今これらの記念碑この時計塔を加えるべきか迷ったがこうした時計塔は各地にあるのでジャカルタではこのメインロードのタムリン通りに、そしてその真ん中で昔であれば交通警察官が建つ場所に立っているところを心に銘じることでタムリン通りの成り立ちについて記述しよう。

戦後、クバヨランバルの住宅地が開発されてくる段階で独立記念広場とクバヨランを結ぶタムリンースディルマンの交通路が企画され、そしてタムリンが着工されたのは1949年である。

Tugu-thamrin その後2010年頃かタムリン像が建った(マイブログ特集アップ済)ためタムリンの北端はこの独立記念広場或いは中銀の場所であることは自信があったがスデイルマン通りにバトンタッチする南端は確認できていなかったのでそれについて調べた結果をいくつか挙げておこう。

その前に南端と思われていたGrand Indonesiaモールの住所がThamrin No.1 であることみてやはりここが南端であったのかと一度は確信した事があった。

そして次にGoogle MapSudirman通りをなぞってみるとMapに南から Dukuh Atasの運河や鉄道を超えやって来る道にいくつもSudirumanと表示され、それはGrand Indonesia(HI)roundaboutUターンするところまで記載があったのでこの確信はいよいよ強まった。

今日、又そのおさらいをしたのであるがあにはからやGrand Indonesiaより南のBCAや更に南のUOB及びUOBの向かいのドイツ大使館の住所を確かめるとここもThamrin 1である。

UOBは昔カルチカプラザと言うホテルがあり、そこから南のタムリンが高架になる部分は両サイド、ブローラ通りとかの道が並行しているので大通りに面するビルはなくそれらの住所から道路名を確認するすべがない。

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しかしこの運河の南のビル(BNILandmark)の住所がどちらもSudirmanNo.1Kav)でありそこにスディルマン将軍像がたっているので、少し譲って駅名が最近Sudirmanに代わった運河駅の当たりまでをスデルマンとするのが正解であろう。

このタムリン道路が出来るまではメンテンに行くには旧サバン通りが利用されタムリンの北のクブンシリー辺りはGang Timboelと言う小道があったそうだ。

 

 

 

 

Tugu-jam-thamrin2011 そうだ!。この時計塔が建つ交差点はこのクブンシリー交差点である。タムリンの完工は1953年であるのでこの時計塔もこの時代のものかも知れない。 何かあると不審に思う点はこの交差点の右側(現在BKK Ban)の住所もThamrin No.1 であり左側・BI側はNO.2 なのである。ここまでで住所のThamrinNo.1 は二つあるのである。ちょっと見たNo.書いておくと:

サリーナ No6、スカイラインNo9、日本大使館 No.24、 ヌサンタラ No.59 である。プラザインドネシア(グランドハイアット)Kav28とかもある。調査はここまで。

 

2019年5月 3日 (金)

令和元年三日目

Third day of Japan's new era "Reiwa"

令和元年3日目、初めて漢字で書いて見た。菅さんが示した漢字はしっくりこないが小生が書くと自然と令和の行書体となった。今読書中の時代が享和であるのでつい、リョウワとよんでしまうが、一昨日の初日は、自分の心に久しぶりに感じた静謐な気持ちに新しい時代への決意を新たにしたものだ。上皇・皇太后の30年の様々にぐっとくるものがあったが、新天皇・皇后お二人の御覚悟とご決意にも大きく打たれるものがあった。それは心の内に丸く収められ、ゆったりしたお姿に垣間見たものである。そしてあのような笑顔の美しさは始めてみる、悟りの美しさであり、世界に発信した日本の朝朗であった。

 3日目になって初日の決意が薄れてきそうな不安な自分を感じたが、これからは少なくともお内儀にのんびりしてもらうことを第一に、日々のつれずれに思いを致して過ごしていこうとレベルを緩めてみた。

2019年4月30日 (火)

Sentul の 今

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Megapolitanグループが開発している住宅地Sentul Vivoがあるセントゥールにはそれより大きな住宅地Sentul Cityがある。この中心地はタムリン通りでど真ん中に日本のイオンが運営するイオンモールが出来る。実現が早いのでイオンに取ってBSDCakunに次ぐ3番目の出店になるが、接続した裏側に5棟の高層コンドミ(33?が用意されその中の3棟は住友商事が出資して参加する。ここに来るには一つはJagorawi高速のGT Sentulで出るあたり、或いは更にボゴールよりにボゴール外環高速が横切る地点に新しくできたGT Sentul Selatan(或いは別称 GT Sentul City - Kedung Halangかな)でボゴールに向かって左手(東側)にSentul Cityがある。ここに近づくに従い高速の左手にはゴルフ場のPermata Sentul GC、その南がPalmhill GCがあり、更にGT Sentul Selatanを越え高速がボゴール方面に分かれる地点近くでBogor Raya GC、更に東奥地にSentul Highland GCやRainbow GC やGenung Geulis GCとつらなるゴルフ銀座である。 このGT Sentul CityにはLRTの駅が出来る。 Adih Karyaの1号線で終点はボゴール(Bogor Baranangsiang)でSentul CityとSentral Cirkuitの二つの駅が用意されCawang- Rasuna-  Dukuhを経由してSenayanに行く。 計画では Soekarno Hatta迄延長計画もある。Cirkuitの駅はRoyal Sentul parkと言いPalmhillゴルフ場に近いが、そこからは西2-3㎞離れて高速に沿って下ってきたボゴール街道があり、そこに冒頭のMegapolitanのVivo( Megablock  & Mall)がある。スポーツ施設(JJCグラウンド)、レクレーションパーク(Jungle AdventureやWaterpark、コンンションや自然景観(別途Curugはブログ済)には触れるいとまがない。

2019年4月23日 (火)

Ci~の用法

 

ジャカルタの南の話でCinereを出したが昔Ciが付く似たような南の地名についてブログを書いた。必ずしも南とは限らないが北の方も今以て混乱する地名がある。

Cilincingと Cililitanである。

Cilincingは東のCakungの北のマルンダの当たりであるがCakungと併せてCacinとか言ったか読めない人も居るだろう。CililitanはCawangの南だがCawangと合わせた言葉は記憶にない。ところがこのCawangを超える南北の高速の一部分をGoogle MapはTol Cililitan2と記載しあり、小生はCawangの北はTol Wiyoto Wiyonoであり、南はJagorawiと単純に考えていたものである。またNo.2 と番号まで付されているので番号1や番号無しのTol Cililitanがあるのかと普通は思うものだが実際はそのような高速名はない。

先のブログで挙げたのはCiledug、Cipulir、Ciputat、Cinere、Cipeteであった。(2007年12月10日)であったがこのCinereは先日詳述した。そしてこのCinereの東南には更に色々あるが以下を挙げておこう。

Cibubur(別荘観光地:JKT Ciracas、すぐ南DepokのCimanggisと接する)

Cimanggis(Cinere-Jagorawiの接点;ここからJORRIIはBekasi方面に向かう)

Cibitung(Bekasi BaratとCikarangの間 MM2100 のGT,むしろ北側)

Cibinong(Desariの終点 Bojong Gede近く。Stadiumがある。数分でSentul Vivo)

まだまだ尽きないが、勘違いし易い言葉の関係は人それぞれだからそれぞれにやって見ると良いだろう。

2019年4月22日 (月)

Megapolitanチネレのパイオニア

 

最近開通したDesari高速と Cinere-Jagorawi高速(JORRIIの一部)及びMRT(終点のレバックブルス)でチネレ地区を注目した投資家が増えて来たらしい。この地区チネレのパイオニアはMegapolitanグループのIbu Melatiのようだ。男性上位の不動産建設業界で女性であるが彼女は外国語アカデミーを卒業してから1970年代から不動産の仲介をやっていたそうで会社組織にしたのは1976年でそこから40年、ネットによると当年72歳という。Megapolitanは子会社群11を数え全てのCEOである。監査役のSidorja Barakはネットによると夫になるようだ。色々な報道と宣伝文句に気になりながらメモしてみるとまず、Cinereは全体で350haある。 そこには、Mixed Use SuperblockとかOne Stop Livingの

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字が躍るがCinere Mallを作ったのが1993年、サークルのLandarkとなるのがCentro Cinere の15haCinere Park ViewなどのあるCinere Centro Junction48ha、そこからTerass Walkが全てを統合するように走りSky Tower とCloud Towerもつなぐ。タワーはそれぞれ18階530戸で 他にCinere Bellvue SuiteやCinere One Reidense/Commercialがあるのか全体の説明は難しい。唸ったのはal frescoというOutdoor diningを楽しめるゾーンやテラス、歩道がつながっていることだ。しかしGoogle Mapでは写真が古いためか未だ閑散としている。

 

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ここはPangkaran Jati Golfを突き抜けた先であり更に西南にPondok Cabe Golfや南東にはMatoa Golfが控えている。ジャカルタからはファットマワティ通りからパンカランジャテイに来る手もあるしポンドク・インダー通りやチプタート通りを下ってきてレバックブルース経由で来ることも出来る。

 

 

 

 

 Vivo-sentul-mal ここを離れて更に南のSentul地区にはVivo Sentulなど含めた260haを開発、BogorではTatya Asri(40Ha)Karawati では 1.8Ha5棟、772戸を開発している。

 

以上Googleで作ってみました。

2019年4月19日 (金)

Melani Barak RimbaとSudjono Barak Rimba/megapolitan

Melani Barak RimbaとSudjono Barak Rimba/Megapolitan

 

不動産の大プロジェクトや大実業家は自分としては既に制覇したと思っていたら最近になり又見つける羽目になった。高速道路のDesarMRT Cibuburなどをブログしていた時、特にゴルフ場とJJCのスポーツグラウンドでしかなかったセントゥールが商業・住宅地になっていたことを知りいずれ行かないとと思っていたころの出会いでグループはMegapolitanで率いるのはMelani Barak Rimbaであった。Barakというからロサノ・バラックと関係あるかと思ったが彼はRosano Barack で綴りが違う。

このグループはセントゥールの前にはジャカルタ南のチネレ地区を開発しておりチネレのパイオニアである。チネレは我々にはゴルフ場でしかなかったところである。

その後セントゥールやタンゲランのカラワチなど17の住宅地・アパートの建設、11ケ所のコマーシャールゾーンの建設を行いこれらは主に三つのメガブロックとして構成されているが、ジャカルタ市内の豪華メゾンBellagio も手掛けているから驚きだ。 しかしこのグルーープが生まれたのは1976年であり、(チネレ・モールが出来たのは1993年)既に40年が建っている。今でこそ日系が大挙して押し寄せてきたが、こうして大をなした不動産グループは既に鄭年錦やHansonHarapanなどでも触れたとおり1980年前後から仕込んできた金の卵なのである。それは現在監査役会長であるSudjono Barak Rimbaの時代だろう。

2019年4月14日 (日)

雑誌 Ambassador

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小生の古本棚から、かなり昔のAmbassadorと言う雑誌がでてきた。どのような雑誌なのか記憶にないので雑誌の出版社などを見て見るとまず副題はMajalah Persahabatan Indonesia -Jepan(日イ友好誌)とあり、編集長はWarnak Tohir、名誉顧問にS.Hoemardani M.Gobel、そして支援者の名前にEnock AmangkuWatanabeKurodaH.Kinoshita、  M.Tanakaの各氏の名前が出ている。Warnak Tohir氏は裏表紙の広告主 PT.Nusantara Putra Wira社の代表である。その後いくらか調査をかけたが、肝心の正確なる情報は先送りせざるを得なかったが、多くの日イのはてな(忘却)もあるが、ただ一つBukarapakのネットショップにこの雑誌の古本の値段が Rp50,000とあるのを発見、ひとまずこの雑誌を本棚に戻すはめになった事だけ記しておこう。

 

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