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ジャカルタ新旧あれこれ

2019年9月12日 (木)

Prof.Dr.Latumeten通りとは

PluitSOGOなどに行くには内環道路を北上しGrogolを越えた先のGerbang Jelambar辺りから一般道路を北に行く方がある。この高速道路の下の道はCiptra MallまでがS.Parmanであるがその北はSatriaとかMakaliweとか言う通りがあるが、それを抜けると左側にKRLGrogol駅が見えこの先からLatumetenである。

00-mlatumeten-2012 そして高速が左に交差して空中に伸びるところに大きなアパートMenara Latumentenがありこの道は右に曲がりモールSeason Cityを右に見てまっすぎJembatan TigaSogoのあるJunction を越えてPluitに向かう道である。

Dr. Latumeten、Google の地図ではLatumetenの綴りであるが 建物の名前ではLatumentenというのもある。名前もJonas Andreas Latumetenというのもあるが、Willem Johannes Latumetenもあり、こちらをまず要約すると

 

 

 

00-season-city2015-latimeten 1916年アンボンのSaparua で生まれた。受けた教育はSabangのオランダ系のELS、その後MalangHBS、その後ジャカルタのGeneeskundige Hogeschool  (高等医科専門学校) である。インドネシア独立までの間には情報省(1946)やスポーツ青年省で奉職、情報省の時代はHet Nieuws Blad記事編集者として、そして1958年頃はオランダとの交渉の場において政府のスポークスマンとしてまたその後はASEANゲームの為に貢献した。

1965年に歿したが“LENCANA BAKTI”の顕彰を受けた。

ネット情報が混乱しているかも知れないが、最初に登場したJonas Andreas LatumetenWillemの父Prof. DR. Y. A. LatumetenWillemはその長男のようである。

家系は漁師ながらオランダの教育を受け、父は精神科医師であり、若い時代は青少年運動(ヨン・アンボン・ネルボンド)に参加しオランダにも留学しインドネシア協会に参加した等のデータもある。

地図にでたApartemen Menara Latmenten もSeason CityPodomoro グループである。

2019年9月10日 (火)

MRT東西線の英雄道路 

Jalan Hero sepanjang MRT

地下鉄の東西線や南北線のルートが明確となったので昔、英雄名が道路名に付けられたジャカルタの道路で最大のメーンロードである南北の道路について地下鉄で通ってみよう。この通りは地下鉄の南北線を殆どきっちり合致して英雄名でつないでいる。殆どと言ったのは、南北の終点、北はKampung Bandan、南はLebak Bulus当たりの道は、英雄名ではないからである。

00glodok-plaza-2014-20 初の英雄名の道路はガジャマダ/ハヤッム・ウルックで、これはKota駅の手前のGlodok駅から始まる。Kota駅とGlodok駅の間はPintu Besar(大門)という道路である。Glodok駅はコタの最大の賑わいポイントで右がPinansia、左がPancoranという地区である。Glodok駅の南に下るとMangga Besarであり、ここもコタ最大の遊興地になろうか、更に南はSawah BesarからBuswayの要綱Harmoniに至る。Sawa BesarGenung Safari側にKRLSawa Besar駅があり、それにひっぱられた名前なのであろうか。しかし実際の駅はGajah Madaプラザ近くになるだろう。

Harmoniは宮殿の近くで次に独立広場にあるMonas駅を過ぎるとアルジュナの騎馬戦車像を超えると国家英雄タムリン通りが引き受ける。ここは真ん中のサリーナ・デパートにSarinahと言う駅があり、ここが地下鉄東西線と交差する予定だ。そこから200メートル程度でデモでも有名なBundarang HI(ホテルインドネシア・ロータリー)駅である。ここにGrand IndonesiaとコネクトするHIケンピンスキ・ホテル、Plaza IndonesiaコネクトのGrand Hyattホテル、向かいがPullmanホテル、道路隔てた隣がMandarinホテルと5スターホテルが4っつに組み合っている。スデルマン通りに入る所にスディルマン像がたっているが、このKRLの駅名はDukuh Atasとなじみがないため新しいジャカルタの進行要綱地となるためSudirman駅と名前を変えられたが、MRTの駅はDukuh Atas BNI駅とDukuh Atasと言う名前を捨てきれないでいる。google辞書には小さい村の意味であるのでとんでもないことである。ここから南に下ってすぐのミッドプラザやBOT三菱の近くがSetia Budi駅となり又少し南スマンギ前の少し古びたパッサールのBendungan Hilir駅から、Senayan広場/GBKスタディアムのIstona駅となる。Bendunganとなっているが駅自体はIntilandSampoernaに近い。IstonaLRTなどの乗り換えポイントとなるがここからは証券取引所やリッツカールトン/SCBDを背景に最新のビジネス街となる。その南のŞenayan駅はSummitmasなどに近い。ここ迄がSudirman通りでMRTはシシンガマンガラジャ通りのSisingamangaraja駅から地上高架となる。この駅はBlok-M までの通りの中ほどのASEAN事務局の前にありASEAN駅とも言う。

駅の近くのビル名など挙げても切りがないがSetia BudiではAstraが名称付ける権利を取得したかも知れない。こちらは友人アストラという意味で得をしている。Blok-Mより南のパングリマ通りやファットマワティ通りは一纏めにして駅を数えるとBlok-A駅、Haji Nawi駅、Cipete駅、Fatmaati駅、Lebak Bulus駅終点である。

Google Mapで見て見ると高架はそれほど視界を遮断せず遠くを見通せて明るいものの、コンクリートとホコリで廃れ行く感があるので今少し宣伝をしよう。

Blok Aには30数年行ったことはないが、あそこは完全にリノベされGrand WijayaDarmawangsaにも近いだろう。

Haji NawiにはITC FatmawatiMoebelプラザが今も頑張っている。ITC Fatmawatiには日本人向けのスパーもあった。南に下ると教育省の施設である。JJCの仕事で行ったことがある。次のCipete Rayaはロッテマートに近い。昔は別の名前であったがロッテが買収したのであろう。

その辺から日本人が多かったブミマスアパートがありパパイヤスパーも店を開いていたしKristal Hotelなど地名のTerogonやインターナショナルスクールなども近くだ。

00-rs-fatmawati-2010肝心のスカルノ夫人の名前のファットマワティ通りは正確にはRS Fatmawatiと病院の名前となっており、駅は外環高速下のKartini/Simatupang通りにある。近くに有名なサクラレストラン・ホテルがあったが東急ブランズに代わっているようだ。

2019年9月 4日 (水)

プルタミナの最高のビルの行方

Patra Jasa Big Project

Rasna SaidEpisentrumの裏側にプルタミナが、インドネシア最高の高さを誇るプルタミナ・エレクトリック・タワー 555メートル(99)のオフイスビルを建てると言うことで鍬入れ式の儀式迄行ったことがあった。2013年の事であったが、小生はその場所を見に行きその後も関心は持ったが、いつだったかやめているのを知った。

http://jakartan.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/no1-1c67.html

そして今度はプルタミナの子会社のPatra Jasa10兆ルピアで7つの開発を行うという報道があった。その一つが E-polis Energiと言うもので、場所は同じところの開発物件である。高さを誇るオフィスビルだけではフイージブルではないと言うことで複合施設となる。報道では5.9haの土地に高層アパート3棟とオフイスビル3棟を立て、ホテル、商業施設も用意すると言うものである。

June-046-2 応援するほかはないと思うので、昔住んだバクリーのアパートから昔の開発地を望んで見よう。

この他、Patra Jasaの開発物件にはSimprukやCirebon或いはDumaiの不動産開発迄、計画に入っている。昔のパトラを知っている世代には考えられない変わりようだ。(4階にプールサイドビァガーデン、お座敷宴会場、韓国カラオケバー、マッサージ、ディスコバー 入れ替わりトッカエひっかえだったようだ)

Patrajasabuildingdoksewakantorupdatecom_

 

 

2019年9月 2日 (月)

ワンダーランド TIM その2 

ワンダーランドTIM その1を書いて1ケ月以上たったがその2はGaleri Ciptaだ。

0020100720_dsc01662_2019090208400120190706-9 この名前が付いている施設はIIIIIIと三つもあるが、総合案内にはIはない。それはプラネタリウムの裏側、Jassin館がある並びに昔はあったようだが、それがJassin館などに代わったのかも知れない。IIはプラネタリウムの入り口の青い横長の建物のDKI文書館の隣にある。そしてIIIXXIの建物の左端にある。この二つは総合案内によると、絵画や彫刻の展示会或いは短編映写会、セミナーなどの会場として使用してもらうレンタル に供されている。II609m²、III147m²である。いずれにしてもこれらはTIMの大改装でなくなり、別のものに代わっていくのであろう。

上記の通り、Galeri CiptaIIの横はDKIの図書・文書館である。こちらもマイ・アルバムには二つの時代がある。

Tim-perpustakan-jan14-34 Arsip-jayakarta2010jul 一つはDKIの図書館(PERPUSTAKAN UMUM DAELAH DKI)と表示されている建物で写真は20141月とある。

あと一つは20107月で建物にはジャヤカルタ文書館(Arsip Jayakarta)とあるが面だけ見ると大改装が施されているが基本機能は変わらないであろう。そうは言いながら50年の歴史の一部の事である。

 

                                                                     

2019年8月30日 (金)

ジャカルタ市内駅舎3題

St. Grogol, Palmerah, Serpong

00st-nakayama2019aug 鉄道駅を見るとすぐカメラを向ける癖で撮った写真でインドネシアの駅を思い出した。 向こうに見えるのは京成の東中山駅である。駅を出ると線路沿いの小道を通って大通りに出る。

 

 

 

 

00stnbsd2014_0033-2同じ仕組みがセルポン駅であるが駅舎自体は線路をまたぐ2階建てであり、今考えるとより近代的だ。しかしこの時もそうだがインドネシアの駅はパッサールなどの奥にあり、自動車で近づけないことが多い。 近づきながらタッチできなかったタンゲラン駅やドゥリ駅がそうだった。

 

 

 

Tentera-pelajar-permata-palmerah-15-aug-パルメラー駅も自動車が停車する事すら出来にくい状態だったが数年前リノベされ駅舎が2階建てになり且つ補助通路も出来たのでそれは改善されたであろうか。Jakartaでは地下鉄の工事が始まった頃からTOD構想の話が引きも切らずあったしMRT陸上部の駅は最新のものがお目見えしているであろう。

 

 

 

 

00grogol-stb それとは関係ないがどんどん綺麗になるなぁ!カメラを向けたのはグロゴール駅であったがもう3年前のことであった。しかし危険性は考慮されてないようだ。

2019年8月20日 (火)

柴又慕情

Tora-saan kenangan

002019-13 広沢先輩の入れ込んだ寅さんに触発されて久しぶりに近くの柴又に出向いた。氏は渥美清の「男はつらいよ」と西田敏行の「釣りバカ日誌」から受けた感想を書いたもので、寅さんの全49本シリーズは複数回見ているという入れ込みようだが、釣りバカにはそれほど釣られないということで、小生も全く同じ感想である。お互いサラリーマン生活を終えて、同じサラリーマンである釣りバカの方に共感があるはずだがどうしてであろうか。小生の場合は、釣りバカはサラリーマン生活のいい加減さやぜいたくな遊びに反発するものがあり、むしろ寅さんの方には毎日の生活への必死さがある。まっすぐに受け止めて精一杯生きる姿であるが、今はそれに、見たくとももう見れないという懐かしさが加わる。本当にいなくなると寂しさ一入である。

 

00toraya2019-21 あいにく晴れてはいないが雨に降られることもなく程よい人出で外国人はゆったりした欧米系の人ばかりで歓迎の心も沸く。

 

 

 

 

002019-18 帝釈天では、宗派日蓮宗のご本尊の他に、庭にある3人の童子像に未だ小さい孫たちの健やかさを祈る。

 

 

 

 

00aug2019-24 似たような心惹かれるお店は沢山あったが、寅さんの団子屋「とらや」にはいり、寅さんが上り下りした2階の階段を見ながら天丼生ビールは旨かった。 

 

今週末は帝釈天祭りをやってるそうだ。題経寺の見所やミュージアムも見学に漏れてしまったので又行こう。

2019年8月18日 (日)

ABGにNotとBuster

 

「ジャカルタ新旧あれこれ」のブログはついに10日以上のブランクが出来たが、それはパソコンがダウンしていた為である。そこで古いバージョンのパソコンを引っ張り出して「ジャカルタ今昔はてな」のブログはどうにかアップ出来たが、niftyは出来なかったのである。

00shinjuku-nishi 所がジャカルタの友人K氏が偶々お盆で帰省、小生がダウンしていることをキャッチした氏から突然の電話で助け舟を出してくれて昨日宿泊地新宿で落ち合うことが出来た。パソコンのダウンは12日で、アンチ・ウイルスソフトをダウンロードする際に余りの時間を食うことに逆上、強制終了をしたがそれがきっかけでダメになったようだ。再起動しonしても、入り口さえ到達できず、訪問サービスを受けたがGive-up されていたものである。訪問サービスの費用はドブに捨てたものとあきらめ買い替えに出かけようとするタイミングだったので地獄に仏とはこのことだろう。友人には45時間も悪戦苦闘させたすえであったが、何とか復旧出来てNECの専門家が出来なかったことをいわば素人が出来、本当に夢のような感じがしたものだった。K氏はCPAでタックスコンサルタントであるが、ゴルフは一流、文武両道でその上技術者でもあったのだ。秀でた一芸は多芸に通ずというものだろうか 身を振り返ってみるときに単なる多芸であったとしても秀ずるものがなければ無芸であると気が付いた。無芸は無芸にしかないのでもあるが。。小生のパソコンには多くのアンチウイルスソフトの痕跡がありそれらがパソコンをいためたのが理由だったかもしれない。ノートン、トレンド、ウイルスバスター、AVGAvast、ソースネクスト、マカシー等々

2019年8月 7日 (水)

Angkeの自然公園

Tempat Wisata Muara Angke

https://www.tagar.idが特集したジャカルタの観光名所としてAngkeなる地名が飛び込んできたがその写真と共に思い出すのは空港に行くときの高速のangke ランプ辺りの水路に並ぶ民家の風情であった。

Tiga-2 つぶだれたような萱葺きの屋根が列を泣いて為して水面に浸たっていた写真であるがアルバムを探すも発見出来なかった。現在では整備され大きな公園などにもなっている。反対側のアンチョールの方から入って来る方は未だ汚いままなので代わりにそれをアップしておこう。

 

Tagar.comの推薦する観光地はレクレーションや自然をテーマとするものでこの特集ではTaman Anggrekのスケート場やKalijodo、Pulau Sribu、Kota Intanなどが紹介されていたが、ここ以外は全部ブログで紹介済だ。ここのAngkeはAngkeでもKapukのMuara Angkeなので北海岸のマングローブ林を整備した自然公園である。

 

 

Tempatpenginapanditamanwisataalamangkeka ここの詳細はむしろhttps://foresteract.comの方が地図付きで詳しい。 マングローブの林の中やかかった木製橋を散歩するかボート遊びをすることだろうか。写真を見ると海上コテッジが連なっているホテル施設もあるようだ。 公園の名前は正確にはTaman Wisata Alam Mangrove, Angke Kapukである。ところがここは2009年11 6日 に「ムアラ・アンケの見直し」と言うタイトルで保護鳥獣の自然保護区としてブログしておりその、それを今、観光目的に整備したものと推定出来たが、上記の二つのサイトには鳥獣保護の字は見当たらなかった。鳥もいなくなったのであろうか。

ここに行くには先に上げた高速のゲートAngkeを通り過ぎ、ずっと先の高速がJORR高速と交差するKamalゲートで降りて海岸に向かってTsu Chi仏教設備のあるPIKの方に行けば着くので今は非常に便利になったようだ。ここからジャカルタ湾シーウオールのD島などにつながる。 

Angkeゲートの近くには列車のAngke駅があり、又有名なAngkeモスクもあるが、行政的にはマングローブのAngkeと共に北ジャカルタ市、Penjaringan郡となる。そしてどちらも近くをAngke川が流れている。Muaraの方がが河口である。

2019年7月29日 (月)

ワンダーランドTIM その1

Wonderland TIM No.1

タマン・イスマイル・マルズキはよく利用した公園である。といっても焼肉ガーデンレストランに何度か行った程度でウロウロしても、あとすることもなく帰えるばかりである。唯ここについては過去何度もブログして紹介はして来た。

0020100720_dsc01662 大昔は、日本からやってきた劇団などがここの劇場などを利用していたが、その後は、コンベンションホールやホテルが利用されるようになり、ここは寂れていった感がある。一番最初に行った時は、夜だったので沢山何かあるなと、その広さに驚き、何時か昼に来ようと思ったときからの印象が、抜けないのだろうか。よく工事で様子が変わっている事もあり、今もって地理が不案内である。

昔の記憶を基にちょっと一回りしてみたいが、既に現時点とは違うし、ここの2年に渡る計画が済めば更に変わってしまうので思い出を記憶する事に意味がある。;入口の正面花壇の中にイスマイルの像(ブログ済)、左側にAngkatan-66(ブログ済)の事務所、そしてガーデンレストランから大きめの屋台的テラス群()が並び、チョット進むとGaleri Cipta IIIを過ぎて裏に回ると

20190729-1

芸術大学(IKJ)(済)につながる通用門がある。大学の奥にチリウン河が流れているが大学に入らないで右手を見ると屋外ステージがある。ステージの先は奥は何か鬱蒼たる感じで、モスクもあるようだが確認できていない。引き返すとCipta IIIの並びの建物には映画館(Teater Jakarta)とGraha Budaya劇場がある。

その右端が古本屋()と言うが、古いジャカルタ地図などもなくがっくり、

Jan14-jassin そして右手には大きなコンサートホール(1)などを収容した近代的建物()2016年頃完成しどっかりと圧倒する感じで広がっており、そこからゲートに戻ってくるところがプラネタリウム()であるが、そこに至る間にも何か建物があり、

その一つにJassin文書館()があるし プラネタリウムの正面の右手には図書館がある。

その図書館(Perpustakaan)とプラネタリウムの間にも何か建物があったのか、今上述のCipta IIが(移ってきて)いる。Cipta IIIもIIもあるが、Cipta Iはどこにあるのか。この図書館も昔は市の文書館(Arsip)だったが派手な装いの図書館に改装されている。 

Tim-ex-kiosk-pemadam-jul10-backgrond-hir 図書館の前にはキオスクがあり女子学生がたむろしていたがこの娘たちの背中に何か広場がある。大昔、TIMは広い、広いと歩いた記憶のイメージと一致する。最後の2017年の探検の時は図書館の横からその広場にも出たようだがその先に又大きなコンサートホール(2)か、とてつもなく大きな近代的ビルがあったとなる。以上は小生なりの記憶からの描写である。今のゴーグルやリノベ計画写真(7月9日ブログ済)と照らし合わすと、沢山、ワンダーが湧いてくる。最大のワンダーはコンサートホール(1)と(2)の位置関係である。それはその2以降に書いて見よう。

(追)上記奥のGaleri Cipta IIIは 最初IIと記述したがIIIに訂正する:9月1日 

 

2019年7月25日 (木)

二人のAguanとTomy

Dua AguanTomy

 

ブログ「ジャカルタ今昔はてな」で「Mall Anggrek と Mall Centralの間」を書いたがMal Taman Anggrekをめぐる人脈図ははっきりしない。 その底流にMal Taman Anggrekの土地は国有地であり、DKI知事がAhok氏であった時代、返却を求めていたことがあったこと、つまり政治家或いは政軍プロが絡んでいることが断言を難しくしているのであろうと推定し挑戦した。

00-mta-dsc_0463 小生のブログでは既にMTA Mulia Groupのものであり、MTA Extension部分はAgung Sedayu グループのものであることで筆を進めて来たが、今頃になって調査の本流のWikiによるとMTASalimin Prawiro Sumarto が首都の依頼で建設されたもので建設は1996年であることが書かれている。

別のall-jakarta-apartments.comには、ここに建つTaman Anggrek Condominium(2,800)Muliaグループが所有するもので1997年に建設されているものと書いてあるので、明確になったことはMallを除いてCondoの部分はMuliaグループであることは確認できる。そしてMTAにつながる拡張部分はCondominiumの名称でなくTaman Anggrek Residence Residenceの名称でこれはAgung Sedayuのもので別個にあることは確信できる。

更に別のTempo Coのニュースで20186Agung Sedayuの総師Aguan Sugianto Kusumaの息子Richard Halim KusumaがBank Artha Grahaのコミサリスメンバーに(父親がViceにそしてTomyがUtama会長である)になった内容であった。Richard(以下も敬称省略)は既に父親を継いでA.Sedayuの社長である。そのRichard やAguanはジャカルタ湾プロジェクトに関わるAgung Podomoro (Land)のゲリンドラ党に対する賄賂案件で、KPKの聴取に呼ばれたりしている。そして最後の行にAgung PodomoroはAguanにより設立された不動産会社であると書かれていたことである。

元に戻ってSalimin Prawiro SumartoはKebumen出身のコングロマリットでPerkasa Motorを保有、2008年にはForbesのインドネシア富豪トップ5で、又1969年にAnton Halimanと共にPT. Agung Podomoroを設立し、Mal Taman Anggrek を建設したものであるとの記載もあった。この人物はよくわからないが他に、スハルト元大統領の3男Tomyと3,000haのSuntul開発を導いている。調査はここ迄で時間ばかり掛かったが、入り口と出口は解るがどこでどうして現代につながったかは見つけられなかった。MTAはいずれかの時に現在の保有者Muliaが買収したもので、PodomoroはMTAの隣地にPodomoro Landを開発して行ったものとして当初の小生の決めつけ通りとして迷わないことにした。写真からはMallCondoの前面にあり別個の物件とも推定は出来るが、やはりモールはコンドの5階部分までだと見た方が合理的だ。ここではTomy Winataと二人のAguanとの事業関係が密であることだけは言える。

 

 

 

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