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ジャカルタ新旧あれこれ

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2019年4月

2019年4月30日 (火)

Sentul の 今

Jjc-ground-sentul   

Megapolitanグループが開発している住宅地Sentul Vivoがあるセントゥールにはそれより大きな住宅地Sentul Cityがある。この中心地はタムリン通りでど真ん中に日本のイオンが運営するイオンモールが出来る。実現が早いのでイオンに取ってBSDCakunに次ぐ3番目の出店になるが、接続した裏側に5棟の高層コンドミ(33?が用意されその中の3棟は住友商事が出資して参加する。ここに来るには一つはJagorawi高速のGT Sentulで出るあたり、或いは更にボゴールよりにボゴール外環高速が横切る地点に新しくできたGT Sentul Selatan(或いは別称 GT Sentul City - Kedung Halangかな)でボゴールに向かって左手(東側)にSentul Cityがある。ここに近づくに従い高速の左手にはゴルフ場のPermata Sentul GC、その南がPalmhill GCがあり、更にGT Sentul Selatanを越え高速がボゴール方面に分かれる地点近くでBogor Raya GC、更に東奥地にSentul Highland GCやRainbow GC やGenung Geulis GCとつらなるゴルフ銀座である。 このGT Sentul CityにはLRTの駅が出来る。 Adih Karyaの1号線で終点はボゴール(Bogor Baranangsiang)でSentul CityとSentral Cirkuitの二つの駅が用意されCawang- Rasuna-  Dukuhを経由してSenayanに行く。 計画では Soekarno Hatta迄延長計画もある。Cirkuitの駅はRoyal Sentul parkと言いPalmhillゴルフ場に近いが、そこからは西2-3㎞離れて高速に沿って下ってきたボゴール街道があり、そこに冒頭のMegapolitanのVivo( Megablock  & Mall)がある。スポーツ施設(JJCグラウンド)、レクレーションパーク(Jungle AdventureやWaterpark、コンンションや自然景観(別途Curugはブログ済)には触れるいとまがない。

2019年4月23日 (火)

Ci~の用法

 

ジャカルタの南の話でCinereを出したが昔Ciが付く似たような南の地名についてブログを書いた。必ずしも南とは限らないが北の方も今以て混乱する地名がある。

Cilincingと Cililitanである。

Cilincingは東のCakungの北のマルンダの当たりであるがCakungと併せてCacinとか言ったか読めない人も居るだろう。CililitanはCawangの南だがCawangと合わせた言葉は記憶にない。ところがこのCawangを超える南北の高速の一部分をGoogle MapはTol Cililitan2と記載しあり、小生はCawangの北はTol Wiyoto Wiyonoであり、南はJagorawiと単純に考えていたものである。またNo.2 と番号まで付されているので番号1や番号無しのTol Cililitanがあるのかと普通は思うものだが実際はそのような高速名はない。

先のブログで挙げたのはCiledug、Cipulir、Ciputat、Cinere、Cipeteであった。(2007年12月10日)であったがこのCinereは先日詳述した。そしてこのCinereの東南には更に色々あるが以下を挙げておこう。

Cibubur(別荘観光地:JKT Ciracas、すぐ南DepokのCimanggisと接する)

Cimanggis(Cinere-Jagorawiの接点;ここからJORRIIはBekasi方面に向かう)

Cibitung(Bekasi BaratとCikarangの間 MM2100 のGT,むしろ北側)

Cibinong(Desariの終点 Bojong Gede近く。Stadiumがある。数分でSentul Vivo)

まだまだ尽きないが、勘違いし易い言葉の関係は人それぞれだからそれぞれにやって見ると良いだろう。

2019年4月22日 (月)

Megapolitanチネレのパイオニア

 

最近開通したDesari高速と Cinere-Jagorawi高速(JORRIIの一部)及びMRT(終点のレバックブルス)でチネレ地区を注目した投資家が増えて来たらしい。この地区チネレのパイオニアはMegapolitanグループのIbu Melatiのようだ。男性上位の不動産建設業界で女性であるが彼女は外国語アカデミーを卒業してから1970年代から不動産の仲介をやっていたそうで会社組織にしたのは1976年でそこから40年、ネットによると当年72歳という。Megapolitanは子会社群11を数え全てのCEOである。監査役のSidorja Barakはネットによると夫になるようだ。色々な報道と宣伝文句に気になりながらメモしてみるとまず、Cinereは全体で350haある。 そこには、Mixed Use SuperblockとかOne Stop Livingの

Cineregoogl-1

字が躍るがCinere Mallを作ったのが1993年、サークルのLandarkとなるのがCentro Cinere の15haCinere Park ViewなどのあるCinere Centro Junction48ha、そこからTerass Walkが全てを統合するように走りSky Tower とCloud Towerもつなぐ。タワーはそれぞれ18階530戸で 他にCinere Bellvue SuiteやCinere One Reidense/Commercialがあるのか全体の説明は難しい。唸ったのはal frescoというOutdoor diningを楽しめるゾーンやテラス、歩道がつながっていることだ。しかしGoogle Mapでは写真が古いためか未だ閑散としている。

 

Cineregoogl-2

ここはPangkaran Jati Golfを突き抜けた先であり更に西南にPondok Cabe Golfや南東にはMatoa Golfが控えている。ジャカルタからはファットマワティ通りからパンカランジャテイに来る手もあるしポンドク・インダー通りやチプタート通りを下ってきてレバックブルース経由で来ることも出来る。

 

 

 

 

 Vivo-sentul-mal ここを離れて更に南のSentul地区にはVivo Sentulなど含めた260haを開発、BogorではTatya Asri(40Ha)Karawati では 1.8Ha5棟、772戸を開発している。

 

以上Googleで作ってみました。

2019年4月19日 (金)

Melani Barak RimbaとSudjono Barak Rimba/megapolitan

Melani Barak RimbaとSudjono Barak Rimba/Megapolitan

 

不動産の大プロジェクトや大実業家は自分としては既に制覇したと思っていたら最近になり又見つける羽目になった。高速道路のDesarMRT Cibuburなどをブログしていた時、特にゴルフ場とJJCのスポーツグラウンドでしかなかったセントゥールが商業・住宅地になっていたことを知りいずれ行かないとと思っていたころの出会いでグループはMegapolitanで率いるのはMelani Barak Rimbaであった。Barakというからロサノ・バラックと関係あるかと思ったが彼はRosano Barack で綴りが違う。

このグループはセントゥールの前にはジャカルタ南のチネレ地区を開発しておりチネレのパイオニアである。チネレは我々にはゴルフ場でしかなかったところである。

その後セントゥールやタンゲランのカラワチなど17の住宅地・アパートの建設、11ケ所のコマーシャールゾーンの建設を行いこれらは主に三つのメガブロックとして構成されているが、ジャカルタ市内の豪華メゾンBellagio も手掛けているから驚きだ。 しかしこのグルーープが生まれたのは1976年であり、(チネレ・モールが出来たのは1993年)既に40年が建っている。今でこそ日系が大挙して押し寄せてきたが、こうして大をなした不動産グループは既に鄭年錦やHansonHarapanなどでも触れたとおり1980年前後から仕込んできた金の卵なのである。それは現在監査役会長であるSudjono Barak Rimbaの時代だろう。

2019年4月14日 (日)

雑誌 Ambassador

Ambassador-majalah 

小生の古本棚から、かなり昔のAmbassadorと言う雑誌がでてきた。どのような雑誌なのか記憶にないので雑誌の出版社などを見て見るとまず副題はMajalah Persahabatan Indonesia -Jepan(日イ友好誌)とあり、編集長はWarnak Tohir、名誉顧問にS.Hoemardani M.Gobel、そして支援者の名前にEnock AmangkuWatanabeKurodaH.Kinoshita、  M.Tanakaの各氏の名前が出ている。Warnak Tohir氏は裏表紙の広告主 PT.Nusantara Putra Wira社の代表である。その後いくらか調査をかけたが、肝心の正確なる情報は先送りせざるを得なかったが、多くの日イのはてな(忘却)もあるが、ただ一つBukarapakのネットショップにこの雑誌の古本の値段が Rp50,000とあるのを発見、ひとまずこの雑誌を本棚に戻すはめになった事だけ記しておこう。

 

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