無料ブログはココログ

ウェブページ

ジャカルタ新旧あれこれ

« 令和元年三日目 | トップページ | トリサクティ悲劇の画策者 »

2019年5月13日 (月)

タムリン道路の時計塔

Tugu Jam Thamrin  

Sinpangtugujam ジャカルタのメインロード、タムリン通りに立つTugu Jam Thamrinと言うのが目についた。タムリン時計塔であるが、日本語の塔の通りのTuguには何か記念碑みたいなニュアンスが加わる。ジャカルタには記念塔が溢れており、この紹介文として小生は「独立記念塔徹底的研究」やオランダ遺蹟の記念塔などを記し66ケ所を確認したことがある。その時その種別としてMonumenは歴史の事象を芸術的に残す記念塔であり、Patungは人物像、Tuguは若干芸術性は低い記念碑と区分できそうだとしておいた。

今これらの記念碑この時計塔を加えるべきか迷ったがこうした時計塔は各地にあるのでジャカルタではこのメインロードのタムリン通りに、そしてその真ん中で昔であれば交通警察官が建つ場所に立っているところを心に銘じることでタムリン通りの成り立ちについて記述しよう。

戦後、クバヨランバルの住宅地が開発されてくる段階で独立記念広場とクバヨランを結ぶタムリンースディルマンの交通路が企画され、そしてタムリンが着工されたのは1949年である。

Tugu-thamrin その後2010年頃かタムリン像が建った(マイブログ特集アップ済)ためタムリンの北端はこの独立記念広場或いは中銀の場所であることは自信があったがスデイルマン通りにバトンタッチする南端は確認できていなかったのでそれについて調べた結果をいくつか挙げておこう。

その前に南端と思われていたGrand Indonesiaモールの住所がThamrin No.1 であることみてやはりここが南端であったのかと一度は確信した事があった。

そして次にGoogle MapSudirman通りをなぞってみるとMapに南から Dukuh Atasの運河や鉄道を超えやって来る道にいくつもSudirumanと表示され、それはGrand Indonesia(HI)roundaboutUターンするところまで記載があったのでこの確信はいよいよ強まった。

今日、又そのおさらいをしたのであるがあにはからやGrand Indonesiaより南のBCAや更に南のUOB及びUOBの向かいのドイツ大使館の住所を確かめるとここもThamrin 1である。

UOBは昔カルチカプラザと言うホテルがあり、そこから南のタムリンが高架になる部分は両サイド、ブローラ通りとかの道が並行しているので大通りに面するビルはなくそれらの住所から道路名を確認するすべがない。

00sudirman-2009

しかしこの運河の南のビル(BNILandmark)の住所がどちらもSudirmanNo.1Kav)でありそこにスディルマン将軍像がたっているので、少し譲って駅名が最近Sudirmanに代わった運河駅の当たりまでをスデルマンとするのが正解であろう。

このタムリン道路が出来るまではメンテンに行くには旧サバン通りが利用されタムリンの北のクブンシリー辺りはGang Timboelと言う小道があったそうだ。

 

 

 

 

Tugu-jam-thamrin2011 そうだ!。この時計塔が建つ交差点はこのクブンシリー交差点である。タムリンの完工は1953年であるのでこの時計塔もこの時代のものかも知れない。 何かあると不審に思う点はこの交差点の右側(現在BKK Ban)の住所もThamrin No.1 であり左側・BI側はNO.2 なのである。ここまでで住所のThamrinNo.1 は二つあるのである。ちょっと見たNo.書いておくと:

サリーナ No6、スカイラインNo9、日本大使館 No.24、 ヌサンタラ No.59 である。プラザインドネシア(グランドハイアット)Kav28とかもある。調査はここまで。

 

« 令和元年三日目 | トップページ | トリサクティ悲劇の画策者 »

インドネシア観光地誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 令和元年三日目 | トップページ | トリサクティ悲劇の画策者 »