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ジャカルタ新旧あれこれ

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2019年5月24日 (金)

ジャカルタ動乱(続き)の現場

 

Waspadai tempat Huruhara Djakarta

2010jan30obama-veteran-thamrin-sudirman-  

Jakarta動乱で又ジャカルタが血煙を上げている。ジャカルタ新聞の日本人記者の方の勇気ある報道でこの動乱の現場で何が起こっているかを写真とともに知り、その事実に驚愕している。最初の日の数時間で7人が死亡したそうでまずは冥福を祈るほかないが、ジャカルタ動乱と言うのはスハルト退陣となった1998年の動乱をいい、その時の最初の悲劇は4人の学生が死亡したトリサクティの悲劇であった。その動乱の切っ掛けは体制側の仕業であるとの一般的な受け入れがある中、結局だれが画策したのかは不明のままである。それは将にその事件日の5月14日にこのブログで取り上げて「堂々と大統領選に出たプラボオも未だ完全な嫌疑は消えてないのであろか。」と締めたように完全に完了してなかったことが今回の大悲劇につながったように思われる。  

連れとなったウノ候補もここまでは読み切れなかったのであろうか。

Dsc_0184-2  小生は既に読んでいたというか昨日の現場の選挙管理事務所のビルを何年かに渡って撮っていたのでその内2枚を挙げておこう。

追加:この前のトリサクティの悲劇の記念碑をアップしておこう。

 Tragedy-trisakti

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