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ジャカルタ新旧あれこれ

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2019年7月24日 (水)

美南見の品川

永井荷風の濹東綺譚を読んでいる最中に辻邦生の江戸切絵図貼交屏風を読み交ぜしている内に二つが混然となる気持ちに襲われたがそれは主人公の世俗の世界で世俗を脱した風流にあるのか、場所が花街にあるのかも知れない。浮世絵師歌川貞芳は女の後ろ姿に何か心の寂しさを感じる体の表現を求めて、或る時邂逅した若い元武家の娘を主像(モデル)としたが、彼女は兄の仇を打つ為犯人を捜していたことが判り、それとなく助け、彼女が最後仇を確信したその相手はいいなずけの男で、確信したその瞬間に彼女は一閃、二人は血の中に折り重なった。。その内容よりもその場所に何時か行きたい気持ちで地名を拾う事に気持ちが集中した。 辻 邦生氏のこの著作は似たような首題の交ぜ貼り絵となっているが、氏(1999年没)の著作の多さは驚かれる。この武家の藩は一之條藩(群馬)であるが別の辺では三之倉藩(山梨ワインのブランド?)などが出てくる。上記のストーリーは「美南見高楼図前後」と言うタイトルである。美南見と言うのは北の吉原に対比された品川高楼街であるが当時は品川の入り口辺りが徒歩新宿(かち。。)で中心は本宿で、本宿が北本宿と南本宿に分かれるようだ(品川三宿)。今の北品川と南品川になろうか 当時は北品川の海近くには八が山や御殿山があり山中の善福寺を前景に海に伸びていく岬の砂洲にたたずむのが上述の娘である。現在の山地にはソニーが本拠にした土地を記念してソニー記念館があるが、幕末期にこの山地の土は切り崩されお台場が建設されたそうで、それには感心したのは、技術が進んだ現代日本では山地が豪雨の為地滑りで多くの人が死ぬに任されているという現実との対比であった。

台場建設用土砂採取場となったのは今の北品川3丁目 - 4丁目辺りでこの近くに英国公使館が建てられ高杉晋作など長州藩士が襲撃し焼き打ちにしたがその話はこの本の前に読んでいた高杉晋作伝に書かれていた。

彼らが襲撃前に集結したのが徒歩新宿の土蔵相模と言われた妓楼「相模屋」でその石碑があるが、それが唯一の遊郭跡のようだ。

 

Dsc0y  

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