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ジャカルタ新旧あれこれ

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2019年10月 3日 (木)

道路名の親子のチョクロアミノト

 

ジャカルタの南北の幹線のタムリン・スディルマン通りとなるのであろうが、歴史的或いは長さから行くとボゴール街道になろう。ところで道路名に付されたインドネシアの英雄偉人の名前はこれらの道路からは全てピックアップしたが、今見ると3番目の南北線のラスナ・サイドに未収録の名前を見つけた。

ここで通りの名前を言っているがそれは交通機能・経済的な流れの通りを言うものでタムリン・スデルマンと言っても始発は北の中央駅から終点は地下鉄のレバックブルス駅の通りで言うもので実際には主たる通りで言えば:ガジャマダータムリンースディルマンーシシンガマンガラジャ―パングリマポリムーファトマワティとなる。

00ragunan-harsono

その伝で言えばラスナはメンテンーチョクローラスナサイド―マンパンーワルンブンチットーハルソノで終点はラグナン動物園である。ハルソノで一番でネットにひっかかる名前はHarsono Tjokroaminotoでこのラスナサイドの手前の道路名のH.O.S チョクロアミノト(1882年~1934年)の次男である。

ハルソノは1912年生まれでオランダ時代には、北スラウェシでPSII の教師および文筆活動で政治的-イスラム的志向の活動を支援しつつ日本占領時代には憲兵に拘留されたりもしたが独立戦争ではスディルマンに付き従い、独立後は1946年、ナツィール内閣で国務副大臣を、そして1955年ではBurhanuddin Harahap内閣で副首相を務めている。

その後は世界イスラム青年会議の会長になったり、1972-1975年にはスイスのインドネシア大使、そして1976-1978年にインドネシア最高諮問委員会のメンバーであった。

道路名にはHarsono RMともなっているがこの名前ではこの人の出生年も不明で面白くはない。人違いであってもHarsonoである以上迷子にはならないだろう。

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