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2019年12月 5日 (木)

Den HaagのHamid 二人

 

昨日のAbdurrahman Baswedanから始まった混乱の原因は、3人の共通項でその一つがアラブの名士として取り上げた、アラブ系のインドネシア人であると言うことであったが、あと一つ言い遅れたのに3人は共通の時代であると言うことがある。
まずこの3人は生まれと死亡の間に3人がそろっている期間が62年もありそれは
Sultan Hamid で1913年~1978年で、
Hamid Algadriが 1912年~1998年で、
Abdurrahman Baswedanが1908年~1986年である。

 

Konferensimejabundarkmb時代特徴的には特に独立宣言のあとシャフリルが未だ力を持っていた時代で特に前2者はハーグの円卓会議に参加していたということである。Sultan Hamid II世はユリアナ女王の補佐官の一人にも任じられた親オランダの人物で、所謂傀儡国群(16ケ国・地域)BFO代表で自身は西カリマンタン独立国代表である。共和国側はハッタを長とするルム・スポモなど計10人の代表団で、彼らと同行した顧問団の一員にHamid Algadri がおり、軍事問題が担当であった。二人は知己ではあったが政治的には意見を異にしていた。シャフリルもハミッドⅡとの出会いの最初から対立感を覚えたが後には昏倒を救われたこともあり、Hamid侯の優しさと勇敢に感銘し仲を一転している。ウエスタリング事件関連で連座させられたことがあり汚点となったが、最初のRIS内閣で国務相となり、或いはその時代にガルダー国章を製作している。ユリアナ女王への忠誠と祖国愛の谷間にに悩んだいわば勤王の志士だ。彼については過去両手に及ぶほど書いているが、Hamid Algadriについてはつい最近11月17日の “ゴジェックの家系 Makarim & Hamid"で紹介した通りである。Hamid侯のフル名前や家系ににはArgadriが出てくるので別人かどうかを確認するのが今日の主目的である。
円卓会議の状況を示す古写真はアップした気もするが。。。再度アップした。

また過去記事へのリンクにも成功したし、文章原稿のコピー(従来はドラッグで失敗続き)にも通常エディターにより成功、将来またブログの一本化が展望できるようになってきつつある。

 

 

 

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