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2019年12月10日 (火)

ベカシの英雄ノエール・アリ

ベカシの英雄ヌール・アリ

 

NoorやNurに英雄が居るかと過去ブログを見るとNoel Aliがまず出てくる。打ち捨てられた高速道路のBecakayuを紹介する時、その線路添いの道がJl. Noel Aliであると簡単に済ましていたので、これ幸いと調べに掛かった。
例によりWikipedia (https://id.wikipedia.org/wiki/Noer_Alie)には半ペイジほどでこれなら簡単だと取り掛かることにする。それによると:「キアイ・ハジ・ノアー・アリエは、1914年7月15日に西ジャワ州ブカシで生まれ、1992年1月29日に西ジャワ州ブカシで死去したインドネシアの国家英雄である。2006年の大統領令第085/TK/2006、2006年11月3日で国家英雄に叙せられた。彼はアンワル・ビン・ラウとマイムナ・ビンティ・タルビンとの間の息子で、ブカシ周辺の何人かのウラマから宗教教育を受けた。1934年、彼はハジを実行し、メッカで宗教科学を深め、6年間そこに定住しました。」何故かこれだけである。2014-tambung-21 それでは始まらないので英雄センター(https://pahlawancenter.com/kiai-haji-noer-alie/)の説明に詳細を求める。追加説明を引用すると :
* 1937年ハッサンバスリとブタウイ学生寮を設立、その後日本軍の占領で、日本軍の力が及ばないブカシにプサントレンを設ける、
* 独立後はブカシ地区の地方役人(KNID)に任じられ、ジャティネガラなどで軍TKRとラスカルラキャット(人民野戦軍)を組織、青年たちの訓練に従事
* オランダの第一次侵攻の際は ヒズブラー・サビリラー司令本部と共にチカンペックで新しいゲリラ部隊を組織。
* レンビル協定の時代はノールの部隊はバンテンへ聖戦、或いはチパユンでオランダ軍に追われ危うく捕まりそうになったが逃走に成功。
* 1949年、ノールはマシュミ党のジャテイネガラ地区或いはブカシの役員におされ、1955年の選挙では彼の地区のマシュミ党は最高の投票を得、中央議会のメンバーとなる。
* 1965年G30S/PKIが起こるやイスラムの組織の同僚と協力し、特にブカシ地区で活動を強化した。
以上の貢献により2006年国家英雄に叙されると言うだけで、いやに簡単である。今一つとして
イスラムの全国紙でもある新聞Republikaの記事KH Noer Ali, Sang Singa Karawang-Bekasi
(https://www.republika.co.id/berita/dunia-islam/islam-digest/19/02/12/pmsv1k458)
から又追加すべき事項だけをピックアップする。
 ヌールは1940年に故郷に戻りAt Taqwaプサントレンを先ず設立した。At Taqwaは宗教教義を学びながら支配者に抗する拠点でもあった。
 日本占領時代も彼の意気は落ちることはなかった。日本は最初日イを旧友だと言いふらしていたが残酷さはオランダと変わることなく、更に戦局に従いインドネシア人の同情を求める方向に流れた。一つの例はPETA(郷土防衛隊)である。ヌールは軍事訓練を受けることはいずれインドネシアががそれを必要とするときが来ると見たから、これらPETAや兵補、警防団に多くの若者がが参加することを止めることはなかった。
 ヒズブラーは日本軍の時代からのものであったが、ヌールはヨクジャにスディルマンを尋ねた時の結論はインドネシア正規軍のフリルを付けずゲリラを継続することを求められ、このゲリラ戦はオランダ人を欺き効果を挙げた。
 ジャカルタのヒズボラ・サビリラ本部の時代だろうか、彼はオランダ軍に恐れられていたが、捕まえるのはウナギを取るのほどに難しいと言われ「カラワン・ブカシのウナギ」というニックネームが付けられたのだ。
 その年の年末に、オランダはついにインドネシアの主権を認めた。ノエルは人民の戦士たちを解散させ、彼自身はAt Taqwa 財団を通じた教育の世界に捧げることになる。

 

この引用紹介文も長くなったが、小生の気持を明かすと、この人こそ、詩人アンワールが詠った「カラワンーブカシの間」の惨劇のオランダ抗争の主人公の一人で、その惨劇は2013年だったかオランダ政府が初めて謝罪した戦争犯罪であり、小生はその現場に立った時があるような気がする、それにしてもなぜ英雄叙勲がこれほど遅れているかの詮索が続くだろうと言うことだけ述べて今日は終わりにしておこう。
但し道路名となった地区が英雄本人の出生地であるという数少ない例(これしか知らない)00grand-wisataである。

 

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