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2019年12月 3日 (火)

最高混乱したインドネシア英雄名ブログ

最高混乱したインドネシア英雄名ブログ

昨日のBaswedanバスウエダンの記事を書きながら色々検索するうちに、興味のポイントがあちこち移動するので、頭が混乱し最高に達して危険を思えるほどであった。

その一つは、バスウエダンの紹介記事の中の「首相やイスラム政党マシュミ総裁を歴任し」という言葉で、バスウェダンは情報(Penerangan)副大臣は務めたが、首相などはあり得ぬしと、疑問詞を打ったが、この文章では、これは後ろに出てくるナッシール首相の修飾詞であることに気が付いた。次に独立準備委員会といえばBPUPKIと省略されジャカルタ憲章など署名した9人は有名であるが、バスウェダンは初めて聞く名前であった。疑問に思ったがBPUPKIは審議会でありメンバーとしては62人もいる事を一昨日知ったばかりである。

62人の中にバスウェダンもいたとしても事実としては納得できる話であった。

次に頭に去来したのは、タイトルの「アラブの名士」と言う言葉であるが、それならGoJekの創設者の若き富豪Nadiem氏(ジョコ大統領に教育文化大臣を要請され)の義父Hamid Algadriをもって小生はアラブ社会の名士と決めていたからである。決めていたと言いながら、それは10日も前で且つ、それを忘却しているのでそこに至るのに大変な時間を要した。

さらにHamidにはもう一人のHamidIIがおりそちらはハーグ会議の東インドネシア代表であり、此方もアラブ系だ。彼はポンチアナックのスルタンであり、インドネシア共和国の国章のデザインをした人でも有名である。実は小生は、この3人の中ではHamid-IIのみ知っている名前であったが、残念ながら英雄にはなれていない。

そしてこの二人は、二人ともハーグ円卓会議に参加していたようで、初めて知るその参加規模に驚いたわけだが、逆に英雄になっているのはBasuwedanだけなのである。

所で現市長のBaswedan は来年の大統領選に立候補しそうな勢いであるが、直系で英雄になれた話はなかった筈で、チョクロアミノト親子ですらまだだし、スハルトも英雄になれない狭い門なのだと何故かブロックする気持ちがあった。 ハルソノチョクロアミノトは親子で英雄ではなかったかと調べ廻ったが、やはりそれはなく、この親子はジャカルタの地名に親子二人、別々の所にあったのを最近知ったばかりであったからである。

混乱の最後はBaswedanの名前はAbdurrahmanアブドゥルラフマン Baswedanで、似たような名前を34日前、調べ廻ったことがあったことを思い出し、又それがどこでなんであったか探し回ったことであった。結局それは、東洪水運河添いのBasuki Rachmatラーマット通りやクブンシリーのメンテン寄りの道Arief Rachmanラーマンのブログに思い当たり混乱も終了したと思ったが、その道の先にAbdurrahman アブドゥルラフマンSalehと言う本命に行き当たった事であった。

そうは云いながらこうした思い違いや似たもの探しがこのブログを続かせる力になっているのだと慰めることにした。

タイトルは適切でなく、混乱しているのは小生の頭である。Terkacau didlm kepalakuではどうかな

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