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2020年1月17日 (金)

90年代のダンドゥット・ポップス RiaとYuni

90-an ria dan Yuni
Haji NawiのCiciである歌手Yuni Sophiaから、歌手Yuni Sharahを思い出したが、切っ掛けはYou Tubeで飛び込んできたニュースであった。 それは間違ったKDの事件であったが、間違いと解かり安心した。
この日本人にも超有名な歌手のヒット作が思い出せず、クリックして聞いたコレクションはMengapa Tiada MaafからLilin-Lilin Kecilまでの20曲であった。皆知っているし、懐かしい歌ばかりである。余りに有名で彼女の本人オリジナルなのかスタンダードなのかが不明になってしまっている。

こうして筆を執ったのはその前の夜もRia Irawanの懐かしの歌を探して、つい時間を使った事もあったからである。
それはLiputan6からのニュースがパソコンに入っていたからで、よく見るとそれは将にKDニュースであった。元旦開けてすぐの1月6日で、彼女はまだ50才であったのだ。
ご冥福を祈るしかない。Yuniが1972年生まれならRiaは1970年で、同じ世代である。
1~2年前であるが、その時もRiaの懐かしい歌を探し回ったことがある。多分Liputan6の闘病のニュースがあったからかもしれない。
懐かしの歌と言うのはDangdutだったようだが、思い出せるのは船の上だったかで踊る姿だけだった。探して、これかなと、YouTubeを開いて見たが聞いたことのある歌はSorga Dunia、Setangkai Anggrek Bulan、 Hati bagai tertutup duri、Hiasan Mimpi等で全てハンサムなRano KarnoとDuetばかりであった。合掌

 

Ria-irawan 追:あれはカラオケだったと思うが、別な曲で、似ているものを見つけた。Hiasan Mimpi だと言う。 Attributeの気持ちを込めてアップする。

 

 

追:ありうべくもないニュースが跡を追って来た。 彼女の母も11日後あとを追ったのである。知らなかったが、母Ade Irawanは多くの作品を残した偉大な女優であったのである。合掌

 

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