なんとなくゴンドクスモ
2018年のGlobeの富豪リストに古くからの聞いたことのある名前がある。ゴンドクスモであるが説明によるとHendro S. Gondokusumo、70才は資産$456百万でインドネシアで89位、Intilandの創業者であり、社長である。
手持ちのリストを繰って見ると2008年、60歳で資産$83百万でDharmala Intilandとある。そういえばDharmala Groupは全盛時代、インドネシアのコングロマリットの6番目から10番目程度にはランクされていたものである。その時代までさかのぼれば、Hendroは第2世代となる。
ジャカルタのメインロード・スデルマンにユニークな姿を見せるInti Towerはその昔はこのDharmalaの名前で、その象徴であった。
Dharmalaグループの創設者は今は亡いが、Go Ha Kim、Suhargo Dharmala Gondokusumoである。
彼は1926年Fujian生まれで1947年移民、1950年にスラバヤでダルマラを創設、第一次産品の商いから金融、建設、不動産等を手掛けて来た。
息子のSuyantoはジャカルタの中学からシンガポールの高校に進みその後は南加州大学を卒業しているが、帰国した1979年、父の仕事に付き、特に金融保険部門に注力した。国向けなどの投資会社DeMatの活動もあったが、1991年35歳で事業を引き継ぎ、最盛期は100社(~200社とも)を有し、銀行からの借り入れも莫大となり、その後の金融危機にぶつかっている。中でもマニュライフとの保険事業では訴えられ、華人経営の汚点を残し、グループ全体でも、BPPNにより資産は殆ど失ったのではないかと推定されるが、Suyantoはその後シンガポールに去ったようだ。
彼は1956年生まれであるがHendoroは1950年Malang生まれで長男になるが、17才頃からジャカルタで父の事業に手助けしていた。Dharmalaの再建は結局Hendoro が不動産を中心とした事業編成で、シンガポールの資産が種になったものと思う。或いは金融保険関連はSuyanto時代にスプリットされていたものだと思われる。
Hendro は現在Kemayoranland、Kemang、或いはGandaria、Harapan Indah等の名前を冠した25以上の不動産会社を保有しており、インドネシアゴルフ場経営社団体の会長や或いは商工会議所(KADIN)副会頭を務めている。ホテルはWhizzという名前で展開中でインドネシアで60ホテルを建設する計画である。
彼は2018年のインドネシア不動産Personality of the Yearに選出されている。そして彼の子息Utama Gondokusumo(38才)が第3世代として登場している。
何とか3代をなぞることが出来たが、珍しい方の名前ながら、9人の子供がいたこともあり、関係不明も多く、データは少ない。マニュライフ関係では唾棄さるべき表現も見受けられる。しかしマニュライフ自身はその後インドネシアの波に乗り小生の少し古い調査ではインドネシアトップクラスの地位を得ていることは確認された。
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