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2020年3月31日 (火)

バロンサリのRawa Gude 英雄墓地

バロンサリ村で 1947 年 12 月に起きた住民虐殺に対するオランダの謝罪についてのニュースを見て、このバロンサリを調べようとして、この検索に大分時間を浪費した。 00baron-sari-home-stay-jogja最初Google Mapで調べると Baronsariではジョグジャカルタの南の地名(Baron Beachの民宿が出てくるし、スペルを直してみたりして、苦労してBalong Sariを引くとSurabayaやJombangなど各地にあるようでその中のKarawangを引くと地域が表示される。00-monumen-rawagedeこれは村の名前であることは想像ついたがこの村の線で囲まれた領域を拡大するとその中にRawagede Monumentというが出て来た。 有名なラワグデであることに気付いたが遊園地みたいな場所であるので村の地図に戻ると、00-rawagede-mahkam少し離れてMakam Pahlawan Rawagedeというのがあり、将にこれこそラワグデの虐殺事件の犠牲者の墓群である。その事件は確かブカシで1947年12月19日に起こったオランダ軍の住民483名の虐殺処刑事件で、その墓地であることも看板の表示から確認できた。 00-rawagede-tirta-pitu-kolam近くに立派な遊園プールもありこの3ケ所がセットものの様だ。一度来てみる価値のある場所である。 ニュースのバロンサリとこのRawagedeが一致したのであるが、それならこの事件のオランダの謝罪は2012年にオランダ大使を通じたオランダ政府の公的謝罪を行っており、犠牲者の全員に賠償金も支払われ、済んでおり、小生もその時このブログで“ブカシの英雄NoerとChairil”として記述している。 小生がこの事件を知ったのはモナスのハイルル・アンワールの胸像からであり、この事件を扱ったハイルルの詩についても“ハイリル・アンワルのKarawang-Bekasi叫びの勝利”としてブログ化している。 冒頭のオランダ国王(ウイレム・アレキサンダー王)の謝罪は、何もこの事件だけを謝罪したものでなく独立宣言後のオランダの行動での暴虐(Kekerasan)の全てを謝罪したものの如しである。最大の虐殺はウエスタリング事件であるが、4万とも言われる犠牲者への贖罪はどう行われたのであろうか、又調べてみよう。 写真は全部Google Mapからである。 謝意はどう行えば良いだろうか。

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