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2020年4月13日 (月)

ジャカルタのJardine Mathesonの影

ジャーディン・マセソンと言えば、幕末、開港横浜の一番地に事務所を構えた英国の貿易商社で、土佐の竜馬が道をつけ、長崎のグラバー氏の商売の柱ともなり、薩長の武器輸入を支援したことなど有名であるが、その前の1840年の阿片戦争も阿片を取り扱っていた同商会が戦争の引き金になったりもした。多くの小説でも出てくるが、ジャカルタに赴任して最初の段階で、 00hsbc-kalibesar-2008この名前を聞いたのは当時世界のトップ銀行でもあった香港上海銀行HSBCの存在であり、戦前より同行の事務所としていたオランダ時代の記念的建物の存在であった。  このカリブサールの建物群がこのブログを始めた動機となった素材である。それが現在も生き続けている世界有数のコングロマリットのひとつであり、次にそれを感じたのはアストラの挫折を受けて立った企業の存在であった。そして今一度調べてみるとスーパー・ヘローの受け皿もそうであり、多分タムリンの名門マンダリン・ホテルもそうだろうと思う。 00wtc-aug-15-12 念の為Jardine MathesonでGoogle Mapで見るとHSBCのあるWorld Trade Center(WTC)に PT. Jardine Lyoed Thompsonという会社があった。これもJardineの子会社である。このWTCがJardineのジャカルタの本拠になるものと思うがカリブサールのHSBCの両隣がシナール・マスのシナール銀行とBIIであったが、シナールマスのトレードセンターはITC(Interntional TC)ゆえ関係はなかろう。所で肝心のHSBCは創業者が別であり、Jadine Mathesonはその大口利用の顧客第1番であったであろうということだ。 wikiには“ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。”と記している。尚現在はシンガポールに上場を移している。

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