SimatupangとKartiniのAvec道路
SimatupangとKartiniのAvec道路
Simatupang通り添いに東急不動産が開発したコンドミ2棟、ブランズ・シマトパンがたっている。
ブランズ・ブランドの2号目で、インドネシアで開発・設計・施工すべてを日系企業で推進する分譲マンション事業の最初で、建設も大林組が施工した。ネットで見る出来栄えは素晴らしくすぐに決めたくなる。
ブランズ・シマトパンと言う呼称ではあるが、住所はSimatupangでなくKartini(Jl. R.A.Kartini No.10, RT.10/RW.4, West Cilandak, Cilandak)である。
Jalan Kartiniはジャカルタ北のGn.Sahari通りの対岸地区に沢山あるので、注意が必要だ。
昔の小生のシマトゥパン通りの紹介文では“ジャカルタ南部を東西に走る(高速の)外環通りでポンドクインダーとパッサルミングー通りの間の長い通りで、真ん中の高速を挟んでパッサールミング方向へ向かう道がそれで反対側のポンドックインダーに向かう側の道はカルティニ通りと名付けられている。”としていた。
その後この道は高速の完成に併せ、東西に長く伸びているが、現在のGoogleでは道の方向(南側北側)の区別でなくFatmawati通りとの交差点から東がSimatupangで西がKartiniである。従いBranzの住所記載は正しいが、呼称が間違いと言えば間違いである。
この外環通りの高速の完成はつい2~3年前であるので、高速がなかった時代か、着手した時代はSimatupangと呼ぶのが一般的であったのではないかと思う。だから先にブログしたFIF TowerからPondok Indah交差点に至るまでの、Siloam 病院もMercure Hotelも Swiss Belinnホテルも呼称は全てSimatupangである。そしてその後Kartiniが付加されたかどうかだろう。
この二つの通りの東西は西はBintaro Pesanggrahanであり、東はTanjung Timur を超えてJagorawi高速の所までも伸びている。
ここの部分の高速JORR完成後に走った高速の写真は、1時間探したがパソコンから紛失していた。
代わりにこの写真を掲げよう。これも、現物は消えているかも知れない。貴重品だ。
TribunJakartaのネットからはこの写真で、これもコロナであったが、消防車で消毒している所は、ある意味で東京都へのレッスンを含んでいるだろう。


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