アストラインターの経営トップ
アストラゼネカのコロナワクチンで思い出したが、インドネシアのアストラ・インターナショナルの幹部の交代があったようだ。ニュースは6月16日、ヘッドラインは「アストラ・インターナショナル、ジョニー副社長が社長昇格」というものであったが、同日の株主総会で前任のプリヨノ氏が会長になっていた。
始めてしったが、二人ともと言うか、もう昔から、トップは生粋のアストラ人の様であり、会社を支配するあのジャーディン・マセソンからの、例えば英国人などの人材ではなかった。 日本の財閥に宗家が見当たらないように、ウイリアム家もジャーディン家も正面から消えていく時代になって行くのだ思い当たったがどうだろ言うか。
1990年組とでも言えそうな二人の経歴を並べて見る。
Djony Bunarto Tjondro 1964年生まれ、Trisakti 大卒+Mt.Eliza、1990年入社、
前ASIIのVP、Nissan Diesel、Isuzu、ASFのトップを兼・歴任
Prijono Sugiarto 1960年生まれ、独Konstanz大卒、Bochum大Dipl.、
前:United Tractorや Astra Honda Motor、 Astra Agro Lestari、 Astra Otopartsなどの会長を兼任、Toyota-Astra Motor副会長などを歴任、
Prijonoの父も1960年代に本田N360 などの組み立てのエンジニア・開発に従事しPrijonoをドイツ系のSMAから学ばせた。彼はDjonyと同じ1990年にAstraに入社したが、その前に4年ほどダイムラーベンツで働いている。
パンデミックの中での辞任と書かれているが、会長に上がるのは日本流の会長に引くという感じなのか、前任はBudi Setiadharmaであった。又日本人の監査役も辞任した。ASIIの配当は総額6兆ルピア、この50%がジャーディにはいるわけだが、失政的なことではないようだ。社長になったのは2010年である。
平の役員にはなるほど英国人かと思われる人もおり、監査役に宗家の名前William Kezwickも見える。
スデルマン大通りの最高級ビルのアストラ本社ビルをいるたびに、その前にあった建物が思い出され、立派になったものだと不思議な感興におちいる。
しかしコロナに対することは、早く過ぎ去ることを祈るだけで、何も言えない。
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