無料ブログはココログ

ウェブページ

今さら日イのはてな

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »

2020年8月

2020年8月26日 (水)

Ok Sandi OKE-OCE

前回、副大統領候補に迄なったSandiaga Uno氏が次のステップアップに向かって活動している。ニュースは7月30日イスラム州立大学(UIN)などのウエブセミナースピーチしたとのことで内容は彼自身が作ったOKE OCEを通じてCovid-19で影響を受ける人々の経済を助けるためにこの運動に参加を促すもので、最近CV OSB,やPT Resik Mitra Anugerahなど 4つの企業が協力する署名会も兼ねたものであった。新しい雇用を創出することで国家への貢献を訴え、若い人々の起業を助けるもので資金は献金によるものである。
OKE OCEは (One Kecamatan One Center of Entrepreneurship) の略で原点は大分の一村一品運動のようだ。
8月中旬の他のニュースではDompet Dhuafaとプサントレンの新種米の活動に参加している様子があった。Dhuafaと言えば7月に”HAMKAの疑問符列伝”というブログで取り上げた貧民救済をめざしたPojok Halalがあるが、イスラムのインドネシアは日本に比べて、慈善活動が進んでいるようだ。それもそのはずでムスリムは年収の2.5%をめどに寄付を行うのが義務だからである。
OKE OCEは2017年のDKIジャカルタ首長選挙(Pilkada DKI)の際に打ち出した運動テーマで、彼が当選し、その後、副大統領選候補に出馬した時は一旦中止されたようであったが、ボスのAnies Baswedanが名前を変えて(PKT)続けていたとか、或いは兄のIndra Unoが社長になって引き継いでいたようである。彼自身は次の大統領選の候補として取りざたされており、ここに来てその活動もでてきたのであろう。
Oke-oce-2
一つの活動はミニショップ(OK OCE Mart)の展開があったようだが、今はどうなっているか日本からは解らない。これと関係あるかどうか知らないがダンドゥットで同じタイトルの賑やかな歌がみつかった。肉体派美女のJuwita Tofhany Sanjaya Baharが色気たっぷり歌っているが、何か昔先行して流行った歌を思い出した。
Janji janji palsu... Cerita cerita angan2... Selingkuh di dpn mata..と言うのでUno/Pilkadaとは関係ないであろう。
Oke-oce-1

追;追:昔はやった歌というのは2時間検索してやっと見つけた。T2 – OKというものだったと思う。

2020年8月17日 (月)

未だ居た知らない富豪Aksa Mahmmud

Bosowa-berlian-mitsubishi前回のWinarkoの際はインドネシアのビリオネアが15人ぽっちではないとForbes Asiaの50人リストを見ると又知らない富豪に出会った。こちら Aksa MahmmudはWinarukoと同じ74才である。この年齢になるともう引退しておるはずで事業(財産でなく仕事)は子供に譲っており、報道などにも出ることは少なくなるので知らない富豪となる。彼はスラウェシ出身で元大統領Jusuf Kallaの義兄弟となるが、複合企業 Bosowaグループの創業者である。純資産は7.7億ドルでインドネシア第44位となっている。
Bosowa グループはセメントの他、不動産産業、自動車産業、鉱山エネ事業、金融等も事業を行う複合企業である。セメント生産キャパは合計7.2百万 スラウエシのMarosが4.2百万トンの他東ジャワBanyuwangiで1.8百万トン、バタムが1.2百万トンである。自動車部門は1978年に日本の自動車販売会社ダットサンを皮切りに、現在は三菱の独占販売代理店の他トラック輸送、タクシー業も行なっている。不動産業はマカッサールのホテルHotel Imperial Aryaduta 及び Novotel Makassarの他、病院なども運営している。大理石の取り扱い、2x125MWの発電、LPG ターミナル、マカッサールやバニュワンギの港湾事業他、建設業等々迄手を伸ばしている。氏は正式には H.M. Aksa Mahmudで1945年生まれ、ハサヌディン大学卒のKAMIの世代である。1968年グループを創業、拡大しつつ、政治にまで進出、2009年までゴルカール党でDPDの議員であった。子供は5人、ただ、末っ子のSubhan Aksa氏は、2013年のリアウ州道路建設に関して証人としてKPKがらみの報道の中にいる。
なごうべとはここかな

2020年8月13日 (木)

タン・シオン・キーも消えてムクティ

Sasa vs Ajinomoto
20200813-2
久しぶりにロダマスグループの名を見たがその創始者のTan Siong Kieは,
2017年に101歳でお亡くなりになっていたということで、最近インドネシアも長寿になったなと思ったが、エカさんもチプトラさんも皆華人の富豪であったからだと思いなおす。
タン・シオン・キー(インドネシア名はHanafiaだった?)は漢字で何だったかなと思い出そうとしたが段祺瑞しか思い浮かばない。彼は名前からして馬賊だったかな。

ロダマスグループの設立は1953年であり、やはりその全盛期90年代初めであろうか、サリムに次ぐ位置に持ち上げられていたが、それは殆ど日本企業と手を組む事が多かったからであろうか 一番大きなパートナーは旭硝子であろうか。今でも二世Mucki Tan or Tan Pei Ling、(養子かこの項不確か)が会長を務めている。一二を争うのが花王石鹸、旭化成、その他三菱AC、久光製薬、大日本印刷DNP,雪印乳業、Lixil等がある。最初の切っ掛けは68年のササ調味料であったようだ。代表16社があるが、Purwokerto のRoda Mas Hotelもある。

サイトは日本語で展開しているが内容は乏しく余り、日本の名前での紹介はないので洗剤やラーメン・飲食品など製品名などと共に、自力でやって来たことを誇るかの様だ。
Mukti Tan氏は2016年純資産6.6億ドルのインドネシア富豪第55位に数えられた57才である。(2019年では6.85億ドル) 不確かながらMukti=Pei Lingとしたのは、Muktiの卒業大学がオレゴン大学であり、別の記事でPei LingはUniversity of Portland/ORとあったからである。
MSGは日本の池田博士が発見したものであるが、Sasaはインドネシアで1973年 "Sari Rasa" (まさに味の素の意味)としてRodamasが売り出したもの。Koreaかと思った。

2020年8月11日 (火)

遅れた英雄表彰のブントモ。。。.達。 

2009年12月20日の大昔に、「忘れられていた本人ブントモ」というブログを書いたが、英雄の日として記念祝日となった1945年11月11日の主人公のブントモ自身の国家英雄叙勲が永く、無いまま、無視されていたが、それが2008年になってやっと叙勲されたことで、{忘れられていた本人}と表現したものであった。
勿論その日の英雄的演説は当時のスラバヤ市長も有名であったので、そのことも別のブログにしたこともあるが、それはブントモ叙勲が遅れた言い訳にはできない。 そしてそのブログにはアダムマリクもタンマラカもまだ英雄ではないと書いていた。又そのブログでは“昨日本屋で見た”と書いているがそれは、きのう本屋でという意味であったが、その本は今や手持ちがない。あるのは1994年出版のBiografi Pahlawan2 Indonesiaというものでこれにはマリクもタンもストモもない。 いやSutomoはあったが、それはDr Sutomoで別人の伝記乍ら写真がブントモであった。
少なくともこの1994年版には漏れもあるし、遅れは確かにブントモ(2008)とマリク(1997)とスカルノハッタ(2012)で、その本に漏れていた(未収録)はタンマラカ(1963年)であった。。
スカルノハッタは正式には2012年になって叙勲されたようだが、秘密を言えば一度1986年にも叙勲があり、これも正しいとすれば2回叙勲されたことになる。気になるのはスハルトがどうなるかで有るが、或いはファトマワティは一人2000年に叙勲があると言うことだ。

そして全てアップデートすれば2019年迄とすれば全体で186人である。ふと目に入った昔のマイブログで小生が間違ったかと修正の筆を執ったが、当時参照した本の間違いと言えばそういう事だったので安心したが、補足しておこう。

2020年8月 6日 (木)

世界の富豪の中の見知らぬ人 ウィナルコ

少し失礼なタイトルで有るが、2020年のフォーブス富豪の中にインドネシア人として新人が居た。

Photo_20200806221701調べると彼Winarko Sulistyoは既に74才であり、包装紙・メーカー Fajar Surya Wisesaの創業者でその保有株の45%をタイのSCGに売却したのが寄与したらしい。
以前はどうだったか、調べると、2018年、2013年、2008年ともForbesでは出てこないが、2016年Globeではビリオネアとして居たので、新人ではない。単なる雑誌編集の違いであったのであろうか。
このFajar社のマーケットシェアは30%とあり、また株主の異動調査から分かったことは、Winarko氏は100%近い株を保有しその55%をSCGに売却し残りは保有し続けているはずで、ポジションも監査役になっていた。但し1988年Fajar社設立には元経済大臣Airlangga Hartartoも共同創業者になっていた。そして彼は PT Surabaya Agung Industri Pulp & Kertas(上場停止中)の創業者(1973年)でもある。

インドネシアのダンボールメーカーとしては日本のレンゴー社がインドネシアのインドフード社と合弁でSRC(Surya 6 : Rengo 4)を設立し4工場(JKT2+SBY+SMN)で展開していたあと、買収を重ね7工場体制となっている。上記の他、この4月、王子製紙が55%シェアーで合弁Oji-Sinar Masを設立している。
紙パ業界にはシナールマスのインダーキアットやチミキミア社などもあり、身近な紙であっても業界事情はあまり肌にフイットしないことが多い。(30%市場シェア―は巨人達を相手にしては多いような、あるいはこれでビリオネアに繋がるには少ないような、売却しようが保有してしたままであろうが富豪の純資産の多寡は資産内容が、株から現金になったとかで急増はしないはず)
立派な工場写真は借用した。

2020年8月 5日 (水)

Indocementと SemenIndonのビル

00indocement-sudirいつも通っていたスディルマンの入口のインドセメントのビルは1階にオランダ人がやっていたパブレストがあったので何度か行ったがあんな昔からIndocementは何か欧州に関係があったのだろうか。今は本社もあるが、レンタルオフイスとしてもやっている。隣がブミプトラビルでこちらもレンタルもやっているが日系事務所店子は2社のみだった。主たる本社機能はやはりチビノンにあるのだろう。そちらの住所はKompleks Pabrik Citeureup Jl. Mayor Oking Jayaatmaja, Citeureup Bogorとある。
Semen-gresik-kantor-dan-alamatnya
国営のSemenIndonesia の本社は何処かと思い浮かべると何も出てこない。そのはずだ。この会社はSemen Gresikto言っていたのでスラバヤにある。AMELIA FIRDAUSさんのサイトから借用したが、ジャカルタはメガクニンガンにある。
Kantor Perwakilan Jakarta The East Tower lantai 18 Jl. DR Ide Anak Agung Gde Agung となっていた。こちらはGoogle mapからの借用である。
00semenindo-jakarta-megakuningan-google
名前が似ているから映像でも印象付けておかねばならない。

« 2020年7月 | トップページ | 2020年9月 »