タン・シオン・キーも消えてムクティ
Sasa vs Ajinomoto
久しぶりにロダマスグループの名を見たがその創始者のTan Siong Kieは,
2017年に101歳でお亡くなりになっていたということで、最近インドネシアも長寿になったなと思ったが、エカさんもチプトラさんも皆華人の富豪であったからだと思いなおす。
タン・シオン・キー(インドネシア名はHanafiaだった?)は漢字で何だったかなと思い出そうとしたが段祺瑞しか思い浮かばない。彼は名前からして馬賊だったかな。
ロダマスグループの設立は1953年であり、やはりその全盛期90年代初めであろうか、サリムに次ぐ位置に持ち上げられていたが、それは殆ど日本企業と手を組む事が多かったからであろうか 一番大きなパートナーは旭硝子であろうか。今でも二世Mucki Tan or Tan Pei Ling、(養子かこの項不確か)が会長を務めている。一二を争うのが花王石鹸、旭化成、その他三菱AC、久光製薬、大日本印刷DNP,雪印乳業、Lixil等がある。最初の切っ掛けは68年のササ調味料であったようだ。代表16社があるが、Purwokerto のRoda Mas Hotelもある。
サイトは日本語で展開しているが内容は乏しく余り、日本の名前での紹介はないので洗剤やラーメン・飲食品など製品名などと共に、自力でやって来たことを誇るかの様だ。
Mukti Tan氏は2016年純資産6.6億ドルのインドネシア富豪第55位に数えられた57才である。(2019年では6.85億ドル) 不確かながらMukti=Pei Lingとしたのは、Muktiの卒業大学がオレゴン大学であり、別の記事でPei LingはUniversity of Portland/ORとあったからである。
MSGは日本の池田博士が発見したものであるが、Sasaはインドネシアで1973年 "Sari Rasa" (まさに味の素の意味)としてRodamasが売り出したもの。Koreaかと思った。
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