Bukan Alang kepalangとRachmatも
聞いた様なイ語に出会った。Alang kepalang と云うもので例文は、Ramainya alang kepalangとか Hati Asnita risau alang-kepalangとかで、例文には情景がないので、余り適切な例文ではないが最初はカフェのオープンの話であるので、お客は少し賑わった、で、次は夫が病気 、話なので、アニタの心は少し心配であったとなる。Alang単独では葦の意味で、alangkahは驚嘆のなんと!、kepalangはgoogleでは ばかげていると出るが、二つ合わせて少しだけとなる慣用語なのだろうか。大学書林には 少し と言う意味とされる。
あとsudah と共にsudah kepalangというのがありこちらは、あまりに、~過ぎるとある。
sudahの方で例文を探すと、“Gelandang Persib Bandung Ini Sudah Kepalang Rindu Merumput Lagi”が出てきたが訳すとバンドンのサッカーチームのセンターは再び芝に焦がれているとでもなろうか。
更に大学書林のbukan kepalangには、凄くとか普通でないと書かれている。例文を探すと“
Resep Udang Tumis Kacang Polong Enak Ini Nikmatnya Bukan Kepalang.
このおいしいエンドウ豆のソテーしたエビのレシピは信じられないほどおいしい。となるのでここではkepalangは少しの意味とするとbukan kepalangで少しでなく、普通でない=一度となく、すごいとなる。
bukan alang kepalangと言う用法にも出会った。
Rachmat punya filosofi bisnis yang sempat membuat keluarganya terkejut bukan alang kepalang. ラフマットは、一度となく家族を驚かせたビジネス哲学を持っています。これだとkepalangは、やはり、少しの意味だ。
Rachmatは元Astra社長である。
序に書いておくとそのモットーはBusiness first, family second!で、実際、息子TAPのCEOとなったArif Permadi Rachmatは、驚くことなく実践しているとのことである。
以上の通りである。Sudah kepalang は、少しと云うより過ぎるの意味だと、相反する気がするが間違いということもできないのでここでは状況に応じて理解するとしておこう。
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