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今さら日イのはてな

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2020年10月

2020年10月29日 (木)

オムニバス・デモのBlak-blakan

昨日は又オムニバス法に抗議するイスラム団体のデモがあったがいつまで続くのだろうか。労働団体は憲法裁にゆだねる様だが、多分それは矛を収めることになろうか。10月28日と言えば1928年の青年の誓の日である。ジャカルタでは学生労働者がモナスでタイヤを燃やし気勢を挙げたり、マルクのテルナテでもデモがあったが散会させられたようである。ジャカルタでは8日(国会可決)や13日にデモがあり治安部隊と衝突、投石、放火などがあった。
2020_10_09_105684_1602230354_largeあの暴動の中で、これはスハルトの二の舞になる予感が走ったのは、デモが暴動化するほど、それを利用する者が現れ、或いは仕掛け人がいることが多いからだ。 いまこのオムニバス法は目的・内容はともかく、立法化に問題があるようで、野党か特に前大統領のSBYが同意してないようだ。そうすると、どうしても次の大統領選の前哨戦が思い浮かぶ。そしてそこに行くと小生の頭にはアホックやサンディ或いは個人的にも感心する若頭男ぶりのエリックなど多くがでてくる。その中でより関連するのはジャワスラヤ汚職事件の行方が気になる。汚職事件、政争など外国から一寸覗いただけでは何もわからない。Jawasraya 事件も確か2012から2018年頃の話であるが、その頃の日系のニュースには何も取り上げられておらず、小生などその本命をビジネスエクゼクティブに礼賛していたほどである。二度とへまは取らないぞと、まずは断片的なニュースの断面を記録してゆこう。 これらのニュースは焦点を暈すためか隠語や新語を作りたがるので、それで今日気になった言葉から見て見よう。
*ジョコウイは黙っているが怖いわけではないtapi beliau bukan president kaleng-kaleng 背景は知らないが、ブリキ缶大統領ではないとは何なのか、日本語なら空っぽとかカラカラ渇き、怒りっぽいやかましい感じだ。
*私、弁護士はもし、ジョコウイが気持ちを搔き乱されたりしたら、それは心配だdipancing-pancing emosinya
*注意が肝要 チクアス家族、ゴロゴロある資産はもう既に保管されている。harta gono gini kalianlah sudah jadi pertaruhannya
この中でKeluarga CikuasとはSBYの私邸である。文章に弁護士Hotman Parisの名前が騙られたHoaxである。 ある程度裏を知ってないと難しくて翻訳は無理であるが両者の確執はあるものの様だ。
このJP誌の写真は借用して保存したくなった。

2020年10月23日 (金)

SiantarのShindoは男、富豪だ

Sindoに関するブログが二つ(Sindo/newsと Mitra Sindo)続いたが、その前10月12日ごろの富豪121位のバティックのマダムSindoro夫人の近くの133位に同じような名前の富豪がいる。余り聞く名前でないのは、小生が余りスナックをたべないからだろう。こちらはShindo Sumidomoというお方でSiantar Topグループを率いて純資産$190milといいう。中核会社はPT. Siantar Top Tbk(STTP)で上場しており、スナックヌードル、クラッカー、キャンディーの製造販売している。
Siantar-top2127286568p
創業のShindo氏は1953年シアンタール生まれで、父の家業を手伝いながら育ったが1972年スラバヤに移り少しずつスナック製造を始めた。1987年にPT組織とし、1989年工場を建設し、上場したのは1996年である。工場はメダン1998年、ブカシに2002年、マカッサルに2011年建設した。
ところでそのブランドは Go Potato やSoba Mie Sedaapが有名のようだが他にも 写真にある通りである。
そして2007年以降、ベストビジネス関連の色んな表彰を受けている。彼はパームプランテーションや不動産業をメダン地区で展開しているそうだ。

2020年10月22日 (木)

Sindoは OK Zone支店

インドネシアのネットニュース局については6月初めにマイブログで「世界とインドネシアのネットアクセス・ランキング」を書いたが、このインドネシアのランキングにSindonewsというのがあった。Sindonewsは大富豪Hari TanoeのMNCMedia Nusantara Citraグループが保有数するメディアで2012年に設立されたものである。Alexaの世界ランキングでは304位とある。SindoはKoran Sindoと言う新聞やSindo Weeklyの週刊誌を発行している。MNCグループとしてはこのMedia Onlineとしては既にOkezone.comを持っており何故2重に持たねばならぬかは知らないが、TVならiNews, RCTI, MNCTV, GTV, 及び MNC Channelsと5重に持っているのだからこちらを先にとうべきだろう。
このSindonews.comの提供情報は、ニュース、metropolitan, daerah, ekonomi, bisnis, internasional, olahraga, sepak bola, otomotif, teknologi, lifestyleと分けているがそれはどれも共通のものであるので特色とは言えない。
今日のSindoのトップニュースは オムニバスローの反対デモの継続とジョコウイ大統領は内閣の法制化の不手際で叱責していることを報じている。

2020年10月20日 (火)

Mitra Sindoはモデルン

Cleon-park-modernMitra Sindoと言うグループがCleon Park Apartmentと言う新設アパートの鍬入れ式をを行ったニュースは又デベロッパーが現れたのかと思ったが、それだともう40番目位になるのではないか。
場所は既に紹介しているモデルン・グループのガーデンシティである。知る人は知るイオンの2番手東チャクンである。式典はコロナのこの時代、親会社 PT Modernland Realty Tbk.の役員David Iman Santosaなど内部者だけで参加したが、一方グループとしてはYoutube、Facebook、Instagram、Twitter、Linkedinなどグループの公式ソーシャルメディアを通じてバーチャル・オンラインで発信された。
タウンシップJakrta Garden Cityの中の1区画1.7haには高層アパート2棟で340室を用意し、商業施設も保有している。この辺りだと彼らの売り出し価格は32 m2でRp5億(約3.5百万円)から73 m2 でRp14億(1,400万円)程度となるようだ。 引き渡しは2023年とのこと。
イオンを中心にして多くの日本レストランがあり、ガーデン・シティの中に 信濃やセーヌ、ミシシッピなどと名前を付けたの多くのクラスターがあり、住みやすいことだろう。

2020年10月19日 (月)

Bekasi の TOD City 完成

“パンデミの時、今こそ不動産投資を”と言うタイトルで、米系不動産コンサルのColliersが Bekasi TimurのLRT City Bekasi - Green Avenueを挙げていた。
不思議な気がしたが彼らの主張ポイントはコロナで非情な痛手を受けた不動産市場であるが、考え方を変えると、逆に経済が回復した時に確実に値段があがるだろうと言うことで、
Lrt-city-bekasiその中でTOD構想の物件はタイムトラベルを実現するからであると言うものである。
そしてこの物件の開発主体は国営建設会社のAdhi Karyaであるが、Adhiについては地下鉄MRT8駅のTOD構想、Verodrome線に次いで、Sentul(Cibubur)線からRasna-Bekasi線のLRT建設など矢継ぎ早の動きはこのブログでも紹介したが、Adhi Karyaは一番TODに熱心で自らTOD専門の子会社をつくるニュースも紹介したことがある通りで、その実現の代表例の一つがこれである。
既に殆ど完了したLRT Bekasi Timurの駅に接続した地域にアパートタワーと商業施設をオープンしたもので、全体では同じ地区に数セット作る大規模Cityの様である。
これでジャカルタ通勤サラリーマンにもブカシ工業団地勤務者にも便利になることは間違いなかろう。
値段は3百万円近辺のようだから小生が購入した1998年、それは1993年のPrice Listと同じ水準である。(いや少し修正すると、1993年のPrice Listは、当時のRp(3億ルピア)のままであるので、当時は、当時のレートで換算すると1500萬円である。)

2020年10月16日 (金)

スス・ブンデラの思い出

はてなブログで、インドネシアのミルクの事を書いているが、ミルクはインドネシア語で煤である。白くないと言う事ではないが、日本人は赴任後早めに覚える単語である。小生はボゴール街道を下って行くことが何度かあって、街道が外環道路と交差する地点の右手に大きなミルク工場でスス・ブンデラというブランドを覚えた記憶がある。なんでそれを覚えているか、2~3日記憶をたどると、なんとそれは大昔勤務した会社の工場があった地区に近く、その行き帰りに見たものでのであったのである。
Ciracasその工場へちょっと今、Googleで足を延ばすと、あの堂々としていた工場は跡形もなく、不動産王チプトラの建設事務所がタイミングを待っている風であった。風雪40年である。その後は長くミルクに手を出さなかったので、ミルクとの関連記憶はそれで終わりである。

スス・ブンデラとはFrisian Flag という会社名(正しくはPT Frisian Flag Indonesia :FFI)からで、このFlagの旗がインドネシア語でブンデラなのである。そしてFrisianとは、これが国際的にも有名なオランダのブランドFriesland Campinaからであることに気付いた。wikiを見ると本社は1871よりの歴史がある組合形式をとって設立、インドネシアには1922年にMilk Kental Manis(甘味コンデンス)を輸入販売を開始、現在液体ミルクや粉乳も加え従業員6900人を抱えているらしい。
そうは云うものの、小生自身はこのブランドをインドネシアでも日本でもお会いしたことがないので、いずれスーパーでも覗いて見ようか
ジャカルタなら先に書いたボゴール街道のチラチャス辺りにTaman Susu Benderaとあるので喫茶程度は出来そうだ。
Frieslan-brand

追記11月21日:この会社の拡張投資のニュースがあった。政府が進めている中部ジャワのBatang工業団地(KIT)への投資で、インドネシア政府は税便宜を与えるとして説得したようで、3.7兆ルピアを再投資するとある。本社は2018年売上116億ユーロ、世界36ケ国に支店を持つ従業員24、000人を抱えているそうだ。

2020年10月12日 (月)

バティックのTjokrosaputro Familyの面々

Tjokrosaputro家に関連したブログは過去何回もブログにした。Bencokの汚職事件で前回で小休止したが、一族の関連を整理していずれかの日に残りのメンバーについて書けるようにしておこう。
チョクロサプトロ家のバックボーンはインドネシアの伝統産業のバティックの代表Batik Kerisである。
創業者:Kasoem Tjokrosaputro(1947創業) 父Kwee Tiong Djingが1920年に始めたもの: 1976年没(1974とも)
Kasoemの子供達① :Handoko, Batik Kerisを兄弟で拡大
Kasoemの子供達② :Handiman, PT Dan Liris(1974設立)2006年没
Kasoemの子供達③ :Handianto. Batik Keris2代目:Pan Bros:2018年没
Handokoの子供:Benny Tjokrosaputro :ニックネームBencok:Hanson含め上場5社を配するグループ、KPK係争中
Bencokの子供:Dicky Tjokrosaputro :Hanson CEO
Bencokの子供:Teddy Tjokrosaputro;Rimoを担当
Handiman の子供 3人目:Denice Tjokrosaputro :MPG Media Publishing
Handiman の子供:Michelle Tjokrosaputro:D-LyrisのCEO
Handiantoの子供:Elvina Tjokrosaputro, Adriel Tjokrosaputro
そして最後に
Handimanの妻:Lisa Sindoroが居る。彼女は何故名前がThokroでないのか不明だが、Lippo グループと関連しているからかもしれない。当然Handimanの遺産を受け継ぎDan Lyriisの会長でもあるが、彼女自身の不動産・ホテルをやっているParamountグループを率いて、Globeの富豪リストではインドネシア第121位の$255百万を保有するそうだ。Lippoとの関連を調べている際、彼女の弟たちEddyとBilly SindoroはLippoの幹部であったが、なんと彼らも汚職撲滅委員会に逮捕されている泥沼である。
汚職事件は当事者が生きており、名誉棄損に陥る場合があるので報道でも扱いが慎重である。捜査・裁判も長くかかり、その日々は、又あれかとして流してしまい、いつの間にやら何も残らず過ぎてしまう。記憶にないため小生も知らぬが仏の如くエクゼクティブシリーズを書いていることがあり、冷や汗ものである。First MediaやMeikartaは一部過去のものになったのかも知れないが、現在のJawasraya関連は巨額であり、奥が深く、どうなるか本当にわからない。今日、冒頭の”次回の復帰”も完全に消えた1日であった。

2020年10月 9日 (金)

IDN Mediaで若い知識の吸収

ミルクのUltrajayaの競争ブランドにYummyと言いうのがあるそうだが、Yummyと言いうのは“おいしい”という意味のイ語であるのでこれをブランドに使うと混乱を呼ぶかもしれない。序に小生にとっても読みが不明になる言葉にcuisine(クィジーン)とかrecepe(レシピ)がある。これらを含めてYUMMYというwebsiteの名前を持つのがIDN Mediaである。 
Idn-media-images
IDN Mediaというのは未だ若い情報ネットで、この分野も日本語でどう表現するか知らないが、テクノロジーとコンテンツプラットフォームベースのメディア会社としか翻訳できない。この会社は2014年にスラバヤでWinston Utomo と William Utomo兄弟(?)が、ミレニアルと Z 世代(90年代後半から21世紀始め)向けに立ち上げたサイトでIDN Timesと一体である。この中に料理特番のYummyやいわば女性自身的 Popbela.com、家庭ママのためのPopmama.com 等を有する。書き込みの執筆者は100万人、毎月読者数は50百万である。
更に2019年からは新たにスポーツ専門のサイトGGWP.ID 、オタク文化専門のDuniaku.com 及び映画専門のIDN Picturesも立ち上げ、又インターネットに接続された屋外広告プラットフォーム IDN POOHを発進させた。
このメディアの他に.広告代理店、イベント主催者、プロダクションハウス(IDN Creative、IDN Event、IDN Creator Network)まで、幅広いビジネスユニットを推進している。資金は数度の投資資金をセットし、インベストメントシリーズ C では、Sinar Masや Yahoo! Japanが参加している。
小生もスマホにIDN Mediaのアプリをダウンロードしいつでも見ることにしたが、ついて行けるかな
Idn-media-gmbar
追記:上記cuisine(クィジーン)を思い出す前に突き詰めた単語はCulinary(クリナリー)であるが、発音は今、発音記号を見てもスッキリしない。Kulinerというネシア語の方がピンとくる。 Recepeのイ語はresep。

2020年10月 5日 (月)

Batik Kerisは大ファミリー?

以下のブログは汚職犯罪で裁判中のケースであったので一旦ホールドしたが、判決が延長になったので、待ちきれずとりあえず原稿のまま出しておこう。色々あるので少しずつ攻めて行くしかない.

Denice Tjokrosaputroという美人に出会った。この名前には記憶があり、すでにMichelle TjokrosaputroのBatik KrisとHanson 不動産のBenny Tjokrosaputroでブログにしている。

00cokroaminoto-ke-utaraそして今、手にしたネットの記事は 将にその通りのタイトル“Sejarah Keluarga Tjokrosaputro: Dari Batik Keris sampai PT Hanson”であるのでこの女性の名前は出てないかと読み進んで見る。
Tjokrosaputro家のビジネスは1920年にソロのノノンガン通りでバティック業をは始めた時に迄遡る。今の世代から言えば4代前のKwee Tiong Djingが手芸バティックの小さな工場を作ったのだが、彼の子供のひとりにKwee Som Tjokをもうけた。彼が後にKasom Tjokrosaputroと名乗ることとなった。そしてそれが1947年Gaitiniと共に歩いて来た重要なマイルストーンであった(1947年設立?)。1960年代に両親から正式にバティック工場の遺産を得たが、1966年、社会全体が危機的な時代で、彼は華人の相互援助組織(Baperki)へ寄付したこともある。1965年以前、Baperkiは共産党に近いことで知られており、この組織が設立した教育機関は民衆の攻撃の的になったりしたが、それが現在のTrisakti大学である。
この記事は一人よがりのグジャグジャ感があり、オルデバルの時代、Kosomは社会での立ち位置とかにおいて不遇であったようだが、ビジネスは家族が進めていたようで後に、カソムの息子であるハンドコは、ビジネスの世界が成長しているため、ニュー・オーダー時代に生きたことに感謝の気持ちを感じていたとあり、Handokoがキーパーソンであったことが解る。1970年PT化した後、1974年、バティック・ケリスはソロにPTダン・リリスDan Lirisという繊維工場を設立し高級品といて世界20カ国以上に製品を輸出することに成功、サリナーデパートに売り場を出し、スハルトの奥さんの作品なども展示し、成功の頂きに上る頃、Kasomは豪州の病院で没した。
その後も長男?HandokoとHandimanが跡を継いだが、Handimanは2018年?に亡くなっている。彼らITBとフィラデルフィアでの学業を与えられた父に見習い、子供のBennyには金融を学ばせている。

以上がこの記事の全てであり、Denise女史も出てこないし、タイトルには似合わない(不十分)な内容であった。
その後の調査を重ねて出来るだけファミリーを拾うとBennyの弟にTeddy Tjokrosaputroがおり、あのRimoデパートの社長でいまは業転しているようだが、又の機会にしておこう。
そしてDenise TjokrosaputroはHandimanの娘であり、先にブログでも紹介した妹?のMichelle Tjokrosaptroni負けない実業家である。これも又の楽しみにしておこう。
楽しみにしておこうというのは逃げ口上で実は、このファミリーはどういう切り口で調べても分かり切った部分のみが断片的に出てくるだけで綴りもKasomだったりKasoemだったり叔父にHandiantoとかHardiantoが居たり、配偶者が引き継いでいる部分もあるので、こちらも調べるのに時間がかかるからである。
その上Benny氏は2.5兆もの国家未済問題で司直の手にあるようだ。 残念。写真はチョクロアミノト通りのBatik Kerisはまだるかな

2020年10月 2日 (金)

Billy Boenに敬服

ビリーブーンというインドネシアの若き実業家の名前から、衝撃的に出会った、あの“波路はるかに”の楽団名と思ったが、綴りも発音も違う。
彼は78年8月生まれだから42才、22歳でわずか2年8ヶ月で米国 Utah State University を卒業し、State University of West GeorgiaでブランドマネジメントのMBA学位を取得、1年かけて米国を旅行後帰国、
Billy-boen
以降Nikeを手始めに, Umbro, Oakley, Haagen Dazs やHard Rock Caféのブランドでキャリアを積みそれぞれのブランドアップに貢献してきたが2004年、PT Berca Sportindoを設立し自らも、インドネシアで最も成功したスポーツライフスタイルのブランドの「リーグ」をローンチし、2006年には友人と, PT Jakarta International Management(JIM) を設立、JIM Fashon、JIM Models、JIM Events、JIM-F Academyを企画打ち出した。
2009年Young on Topと言う著作を著し、成功するためのKeyについて若者に熱く語る本を出版、重番を重ね、今、2作目も出版した。
又 Kejora-SBI Orbit Fundというインドネシアと日本のSBIとのパートナーシップで3,000万ドルのファンドを立ち上げ、インドネシアの若者に対するスタートアップを支援している。最近の活動では共同企画したTVやラジオで、特にMetro TVでは, “Unlock with Billy Boen”という番組を持ち、若者の関心を引くトークショーなどをやっている。
つまりは一言で事業を説明できないわけでmost versatile(汎用的) professional turned entrepreneurとしていた。なるほど

以下は彼のサイトから彼の事業説明部分を翻訳したそのものを掲げておこう。
「PT YOTを設立しインドネシアの若い世代の力に焦点を当てたいくつかの企業に投資しました. 彼は、インドネシア最大のキャリアプラットフォームの一つである分析会社、トップカリル・インドネシアのGDILab、株式クラウドファンディングスタートアップ(フィンテック)、MainGame、ゲームプラットフォームのスタートアップであるロンドンスピーカービューローインドネシア、世界最大のスピーカー管理機関のインドネシア代表であるロンドンスピーカービューローインドネシアの企業にアドバイスしています。 2020年2月から、945億米ドルの運用資産を持つインドネシア最大の銀行である銀行BRIのネットワーク&コミュニケーション戦略アドバイザーに任命されました。 彼は過去10年間、インドネシアの21以上の都市に放送されたラジオトークショー番組をほとんど制作し、現在はインドネシア最大のニュースTv:メトロテレビのテレビトーク番組「アンロック・ウィズ・ビリー・ボーエン」を制作し、主催しています。Inspira Speakerが運営するパブリックスピーカーとして、インドネシアの企業や大学の様々なイベントで、プロと連続起業家/投資家としての情熱と経験を積極的に共有しています。ブランド経営、青少年育成、起業家精神、投資、テクノロジーに情熱を注いでいます。 2009年に出版された「ヤング・オン・トップ」という全国ベストセラー本を書いた。この本は、彼らのキャリアとビジネスで成功するために何百万人ものインドネシアの若者にインスピレーションを与えました。2019年4月、彼は「Y」というタイトルで2冊目の本を発売し、人生の目的についての理解と、人生における真の成功と幸福の真の意味についての物語を共有しました。」

所であのビリーヴォーンは最近聞かないと思っていたがもう30年、小生のインドネシア2回目の赴任時には、お亡くなりになっていたのだ。なんとぼんやり生きて来たのかと嘆かわしい。
ビリー・ヴォーン楽団の『Best of Billy Vaughn & His Orchestra』 をYou Tubeで開くと14曲、「浪路はるかに 」「センチメンタル・ジャーニー 」「ローンチー (ラウンチー) 」などを収録。と紹介されていたが、小生には、より懐かしい、“When the Blue Moon turns to Gold Again” という曲もあった。 さすがその曲はこのブログのMy Favourite Songシリーズでアップしていたのだ。この歌には多くのカバーがあったが同じく別の日アップしたMerle Haggardの歌がいいようだ。 大分離れたが。。

追記:共同設立者はSEISのオーナーの2代目Rudhy Buntaranで 6月29日紹介済「「OPTIK SEISも..」


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