ヨグヤとジャカルタの時計塔
ヨグヤカルタの、マリオボロ通り近くの記念塔のリノベをやる話から、このような観光名所があることを知った。Bisnis.comの“Alamak Tugu Pal Putih Yogyakarta”からである。写真にはMalioboro通りの看板が出ているが、報道では、ここは Mangkubumi 通り、Sudirman通り、A.M Sangaji 通りとDipenogoro通りのインターセクションらしい。
この記念塔は1755年にハミングブオノ一世によって建てられ、当初トゥグ・ゴロン・ギリグと言われ、頂上は丸い形(ゴーロング)で、ポールは円筒形(ギリグ)の形をしていたので、その名前で、碑の高さは25メートルである。南の海と宮殿とメラピ山を結ぶラインに建設され、瞑想に使用された。
しかし最初の塔は1867年6月10日の大地震で崩壊したため、オランダ植民地政府は、15メートルに減らしたデ・ウィッテ・パール(白い記念碑)を再築したあと、2012年には、再度改修を行い22カラットのゴールドを使用、また記念碑の周りに小さな公園が作られているそうだ。この白い塔というPutihと云う言葉が名称に今も残っている。
ヨグヤと同じ位かなと間違ったジャカルタのタムリン道路の時計塔(Tugu Jam Thamrin) の方も地下鉄工事のため仮移転しているはずだ。ジャカルタには他に多くの巨大な塔があるが、タムリン道路の時計塔はそれほど大きくなく、日本人でジャカルタに何年住もうが、知らないままジャカルタを去る人が多いだろう。少しでも知られる願いを込めてブログにしたことがある。
この二つはどちらもTuguである。Tuguは単純な塔が多いようだが、Tugu Taniの様に彫像の塔もある。銅像的にはPatungと言い、Monumenは形より記念にウエートがかかる。
塔そのものの簡単な記念碑は他にもブログにしたのがあるので写真だけ掲げておこう。
最後の写真は間違って宮崎の八紘一宇迄挙げてしまった。
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