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2021年2月

2021年2月25日 (木)

二つ目の島Pulau Duaのフィンランド・カフェ

ジャカルタのHutan Kota GBK(ブンカルノ・スタディアム)から目を移して、日本人の随筆に出ていた新しいモール(Spark)を発見した話の小生のブログ「Taman Ria Senayanの今昔」で同時に発見した妙な名前のフインランド・カフェは後回しにしていたので、今日何か書かねばならない。
Pulau-dua-1
写真は昔のレストランであるが、ここPulau Duaのシーフード・レストラン島に出来た、その名前もKOKONUT & CURTAINS BY WAKIMUKUDOというもので、住所はKomplek Taman Ria Senayan, Jl. Gatot Subroto, Jakarta Selatanである。このロケーションは一寸腑に落ちないこともあるものの、あるSNSでもlocated inside Pulau Dua restaurantとあったり、Google MapでもPulau Duaに二つのレストランの印と表示があるので同じ場所にこの二つのレストランはあることになる。決め手は日本人のブロガー“sehari-hari~~ジャカルタ生活日記”の2019年1月の訪問記で“そこにはPulau Duaというインドネシアン シーフード・レストランがありますが、その池に文字通り島が2つあり、その1つに新しいカフェができました”と云う文章に会ったことである。
実は小生自身、あのTaman Riaの湖水に二つ目の島があることを先日初めて知ったばかりであり、逆にガトット・スブロト側の島だけしかないものだと思っており、そちらの方が二つ目の島とは、今日知ったような訳である。
そしてこの住所にKomplek Taman Ria Senayanとあるのは、小生に取って昔の感覚と合わないものである。Gatot SubrotoからはいっていくPulau Dua地区はTaman Ria Senayan地区と敷地内で接してはいる(行き来は出来る)が区分け(出入口あり)されており、Taman Ria側の正門入口はJl.Pemudaである。Pulau Duaはこのブランドを大切にして、隣のTaman Riaの名前を使ってはなるまい。
Pulau-dua-5
こちらの二つ目の島に渡る入口はガトットから入った敷地と島を結ぶ長い屋根付き橋がかかっており、島に付くと左右に二つずつほど建物が並び、ずっと奥にも吹き抜けのレストラン建物が、全体をこの6つの建物でカタカナのコの形に囲んでいたが、この真ん中の敷地は広く、其処にバンド・ステージやキッズガーデンなどがあった記憶がある。 

Pulau-dua-wakimukudo-2
今地図で見てこの島に二つのレストランが同居しているのなら、いくつかの吹き抜けの建物を白く塗りたくり、更に真ん中の敷地に白い鳥かごみたいなネットを幾つも作ったのだろうと推定できる。
所で、あるSNSにはこのWakibukudoは日本語だと言う文章を見つけた(Oh by the way, fun fact, Wakimukudo is a Japanese word that means “the positive light feeling within your chest,” ちんぷんかんぷんである。それは打ち捨てて、このフインランドと日本の関係では小生は日露戦争時に明石大佐(だったかな)がフインランド独立に活動するフインランド英雄と助け合った話は思い出された。

2021年2月23日 (火)

セナヤン・パークの遠景ビル群比較

シンガポールでもワクチン接種が行われており、昨年は米国(Pfizer)とドイツ製を緊急接種したらしいが今回は米国のモデルナであるが、何せ人口は少ないので感染者1桁クラスで旨く行っているのであろう。5つの景気刺激策で3-5%の成長を維持するというから大したものだ。
Cbdsingapurabloombergnickylohmsl
その経済状況を報じる報道にシンガポールの俯瞰ビル群写真が添えられていた。最初はジャカルタの写真かと思ったが、先般のジャカルタ セントラルパーク(小生が勝手につけた名前)の写真が手元にあったので補足感想を付けて見よう。ビル群はもう互角である。
Unnamed2-3昔のTaman Ria Senayanと同じ面積で11ヘクタールである。湖の端の中島は森にしているようだが手前の森は国会敷地であり、奥はGBKの森で、うまく借景している。

2017年頃、まだ建設の再許可を得られないまま建設を始めていたようだ。
上の写真で見るとモールは簡易な構造であるのかのように見えるが、完成済の立派な写真も見たが、それは本物だったのかな。

金のあったリッポーがやっているのであろうが、リッポーの名前は付けられてない。微妙な関係が窺われる。モールには高級品店を呼び込みたいのであろうが、Senayanには既に高級モールSenayan PlazaもSenayan Cityもあるので、ここには息のかかった店が多くならざるを得ないか

屋外イベントなどもやりたいのだろうが、それは隣のGBKが引き受けるので、結局存在意義は家族慰安(Keluarga Entertainment)の場所となろう。

この写真でリッポーがひっぱりだされたが、リッポーついてはメイカルタ以来のブログ登場である。その間、その許認可に関わる贈賄事件の頃から様子がおかしくなっているようだ。
一寸比較して見ようと思ったがシナールマスもチプトラもハリムも創業初代は逝っているがリッポーは3代目に譲ったものの初代のモフタル氏は未だ元気である。比較に戸惑うがトップのシナールマスと比較すると
BSDは2015年高値2210が現在1,255で底値625より上昇中で決算も黒字維持
Lippoは2015年高値1,335で現在210,底値119と上がったが不変、決算は毎四半期赤字が続いている。 


何かあったとスッキリしないことを思いだした。メイカルタのトップはJIWASRAYA汚職事件のベンチョクとその親父のHandokoさんにさかのぼる系譜で自身も関連逮捕されたことがあった。この事件は小生の頭では終わってない。


2021年2月19日 (金)

今こそジャムウ Novaに応援

1週間前にジャムウのトラックアンギンを売り出したNy.Rachmat伝統ハーブ薬の会社シドムンチュルを創業)を紹介した。ジャムウは美人のジャム売りが色々なエキス瓶の籠を背中に背負い、街を売り歩き街角で立ち飲みするかたちだが、今はそのようなのは見掛けず、カフェ風な店で売ることが多くなっているのだろうか。

Nova-dewi-setiabudi-2その中で更に工夫を重ね健康医薬品をオシャレに総合化したビジネスとして進めている人が若き才媛Nova Dewi Setiabudiである。今は女性がこの分野は担うべきとして会社Suwe Ora Jamuを設立した。この紹介はまずGoogle検索のいくつかのタイトルを紹介することにする。
1. 1000年の伝統生薬をソーダドリンクへ
2. スラバヤからジャカルタのパサール・ミングに移り今は世界に飛び立つ8年目
3. 若者に漢方薬のファンにするには現代にマッチした、特に味に工夫が居る。
4. 新しいブレンドで、新しい瓶やボックスに包装、ミレニアル世代にヒット
5. ジャムウの普及にはその知識を広めることから講演や著作も手掛け
6. 教育省も学童にハーブの可能性を知らしめるZoomセッションを行いノヴァ・デウィやピンキー・サプタンダリ博士(Unair)などの専門家を招く。
7. オシャレなM-Blocで店を開いた時、若者はInstaなどのアップが目的だが、今や疫病を追放する望みがある。
8. Facebook/Twitter/Pinterest/WhatsAppなどをカバーするクラウド・キッチンはマランやマカサルにも広げていく
9. 一方にJony Yuwodoという人も、既にコロナ追放の為のJokowiの処方箋に沿ったJamuを作りKafe Acarakiを開いているようだがNovaにもRecepeをオッファしている。
10. 彼らの一つはインドネシアのニューウエーブとしてコーヒーに変わるものを作り出そうというもの。
11. その種の物に使われるのはJahe生姜、Kunyit ターメリック、temu Lawakウコンのようだ。
彼女は1975年スラバヤ生まれでNew South Wales大学でMBAを取得、2012年に開業しているが店舗展開と共にワークショップ開講や著書もある。著作は「ジャムウの物語:インドネシアに伝わる美と健康の遺産」は日本語で出版されている。ハーブジャムの豊富さも強みである。
Nova-dewi-setiabudi-1

2021年2月16日 (火)

Taman Ria Senayanの今昔

ジャカルタど真ん中の森林公園Hutan Kota GBKを探し出してあと、付近を散歩すると、プラウ・ドゥアあたりに来た。
今は何か荒涼たる雰囲気の中洒落たカフェ群もあるようなところで出て来たので、これは次の続きとしてのテーマになると踏んでいた。

そして今日、この荒涼とした湖水側の場所の名前を思い出し再度googleでサーチするとTaman Ria Senayan complexとの表示があり、又拡大するとSenayan Park Shopping Mallの字を浮き出てくる。

Taman-ria-2020
そうだ、ここがあのNNAの随筆氏が書いたカフェの場所だと直感した。小生が紹介できるのは昔の雰囲気でしかないので昔を案内しよう。その大昔、クニンガンでやっていた日本人会の野球大会がスナヤンに移って来たが、その入り口の向かい側からが正式な入り口であった(TVRIの隣かな)。入口で料金を払うのは今と同じだ。
中には大きな湖水があり、それに面した正面の通り(Jl. Gerbang Pemuda)沿いには大きな2~3階建ての、今でいうモールかプラザは既にあり、偶々取った写真はその左端のビリヤード・プールGarduである。
00taman-ria-senayan-gardu-2009

そこに行くには入り口を入って右側に三つ程欧米のレストランなどがありそれを右に横切り越えて、湖水に向かって入ってくるのだが、このモールにはちゃんとエスカレーターがあった。今のモールと規模は変わらない程おおきかった。エスカレーターの右側の広場には、オランダ人が経営していたパブもあり、何よりも湖水には大きな千トンクラスの船が浮いていた。この船の横付けした胴体からも入ることが出来たが船内はデスコがあった。外から階段を上ってデッキに上がるとそこは見晴らしの良い船上レストランであった。
このプラザをブルブラ歩くと湖水に張り出した音楽バンドのステージが見え、又すぐ花屋敷クラスの大きな遊園地に出てくる。其処を抜けると、今度はガトットスブロト側に出るが其処にも韓国レストランや欧米系パブレストなど3つ4つ立派なレストランが湖水に張り出すように建っていた。

この土地はその隣が国会敷地に隣接した国有地で、2000年代初めからここにこのような商業地はまかりならぬとか、議員宿舎を立てるとかの偉いさんの横暴で、これらの施設全部が破壊されてしまった。そして15年位も放置されたのであろうか 今又モールが立ったようだが、あれはスハルト時代だったのか、その時代の方がよほど立派に思う次第である。今度はドライブインシアターも設けたらしいが、これとて1980年代迄アンチョールにあったようなもので、近くになっただけの意味だけだ。しかし一風堂や牛角は当時はなかったと言える。

結果は立て直しとなっただけとも言えるその紛糾の実態は知らないが、これがインドネシアの随一の誤り沙汰の一つであるとつくづく思う。
(1962年のGBKスタディアムは2018年の56年振りのアジア大会にも立て直しせず使用したことには感心した。)
小生には80年代からよく来たもので、最初の時代はアディ・サディキン市長が創設した森林公園で湖水に面しては当時は山地になっており、その小山の森林を散策し、或いは釣りに興じる市民の、金の要らない憩いの地であった。

2014年頃のジャカルタ新聞では開発業者はアリオビモ・ラグナで25年の開発権を得てリッポーとやる話は出ていたので彼らがその後進めているのであろうが、前々水産大臣がやっているAriobimo社のプロジェクトリストには何もディスクローズされてない。一度入居の振りして情報を取るしかない。このような隠すスタイルの業者には胡散臭さが匂う。

実は小生のパソコンアルバムから08年以前の時代の写真がミッシングしており証拠を示せられない。Garduの写真は2014年破壊中の物である。そういえば破壊中の20年間は高い鉄塀で2~3km張り巡らしていた。
最初の写真では昔の風景と見間違うほど変わらないが、下の夜景はイメージ写真のようだが、Instagramの投稿を見ると本物のような気もする。
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Spark-taman-ria-senayan-7

2021年2月15日 (月)

Dafam Hotelで行き先は決まった

インドネシアの新しいホテル開発運営会社が出来た。と云うと日本人は一つホテルか何か建ったのかと思う程度かも知れないが、もう着々と進めてこの10年で24のホテルを保有しているのだ。グループ名はDHM (Dafam Hotel Management)で、タレントというか才能ある若いクリエーターの二人のBilly Dahlan とAndhy Irawan.が、2010年にSemarangに創設したのだ。現在では24都市に2,230部屋数を数え、従業員も1059人に達する。インドネシアのカルチャーとホスピタリティを提供している。
設立翌年から毎年、何らかの表彰を受けており2020年は“ Indonesa Best Companies in Creating Leaders from Within 2020”、又2018年にはVENUE MAGAZINE “THE MOST POPULAR & THE BEST MICE INDUSTRY 2018:Innovative CEO - Mr. Andhy Irawan MBA”など過去10指に余る。
00aston-marina-hotel-2014Hotelに種別ブランドを持ち最高級はGrand Dafam でこの1月にAston Marina Ancol Hotel をGrand Dafam Ancol Jakartaとしてオープンした。このクラスは近くはバンドンのGrand Dafa, Braga,Bandungがある。

Dafam-jaksaその他Dafam Express Jaksa Hotel,やTeraskita Hotel JakartaなどBUDGET HOTELSなど3STARから揃えているようだ。

00jljaksaJAKSAが出たので見に行ったが昔そのテラスで飲んだMARGOTの横であった。さて準備は出来そうだ。

2021年2月12日 (金)

ジャカルタど真ん中の森林公園Hutan Kota GBK

NNAのジャカルタ随筆で、ジャカルタの新名所を思い出した。NNAのこの筆者の描写によると、そこは、テラスが数カ所にあり植物を植えて緑をふんだんに取り入れて周囲に高層ビルが建ち、撮影スポットにもなる。云々で(縦書きをコピーして横書きにすると、少しおかしくなるので要点を繫いだだけです:筆者に失礼します)。
20201122-4高層ビルに囲まれた不思議な一画の夜景の写真を昔、保存していたのでそこがどこであるか本腰入れて探すことにした。それほど難しくはなく後ろのビル群に多くの見慣れた写真があったからだが、不思議なのはカメラマンが立つ前は大きな池があり、見慣れぬ古民家風のカフェが数軒あることだった。場所の見当は付くので、すぐGoogleでそこに行くと、又見慣れぬ名前のHutan Kota GBKと言うのがと飛び込んできた。GBKとはブンカルノ・スタディアムで2018年アジア大会を開いた場所である。スデルマン通りに沿ったところは我々が昔、ゴルフ練習をしていた場所であるが大会準備のための整備だと言うことで閉鎖され、涙をのんだ思い出がある。
20201122-1なんと、そこがこのHutan Kotaで大きな池を掘った土で丘・や土手を築き、周りに多くの樹木を植えた大市民公園に変貌しているのだ。小川を流し、石橋に直に座って川面に足を投げ出して平然たる二人や、多くの若い男女が憩い且つスポーツに興じている姿は将に南洋トロピカル・パラダイスである。
Hutan-kota-gbk-google-8短い間にこの大変貌を作り出した人々や、その視点に、大人のアーバンライフを作り出した人々に感心する。最近は気候変動で各地で大洪水で荒れてはいるが、インドネシアにこの温暖な気候が永久に続くことを願いたくなった。

この湖の向こうに見える趣味の良いカフェはPlataranと言う名前である。それなら小生が昔、チョクロアミノトの古い家や
00dharmawangsa-plataranダルマワンサのジャワ風建築のカフェPlataranをブログで紹介したこともある由緒ある実業家である。ここに行き付いた甲斐があり、ほっとしたが、NNAの随筆氏の云う場所は南ジャカルタの新モールらしいが場所は書かれてないものの多分、建築好きの小生のブログではきっと又出会うだろうと記憶にとどめることにした。
写真はジャワ建物Plataran以外はgoogleから借用した。

2021年2月11日 (木)

ReinoとSyahriniプリンセス

20210211インドネシアのセレブにSyahriniという歌手が居た。妖艶な肢体が魅力的だが歌の方は、Group Musik Tahun 80-anのメンバーである小生には、合うものはない。
YoutubeにはCintaku Kandas(かすり傷の恋)とかSyahrini ft Aisyahrani - Cinta Terbaik とか2008年1st AlbumにMy Lovelyとか、Loveが多い感じである。Aisyahraniとは妹の名前だ。と云うより、彼女は2018年東京のモスクで実業家のReino Barakと結婚していた話を思い出した。
彼は日本の仮面ライダーのインドネシア版BIMA Satriaをプロデュースした人で親父さんもプラザ・インドネシアの社長までしたバンバン・スハルトの友人である。奥様が日本人だった。紐解けば益々日本に近づくが、彼女は1982年8月、ボゴールで生まれでPakuan大学の法学部卒とある。歌手で伝記が出てきた理由はなんだろうか 伝記によれば“Syahriniは、色々なビジネスを展開し、富を増やしたことでも知られています”と云う事のようだ。ジャカルタに戻っての結婚式は盛大だったようだ。何しろ当時二人は話題が多く、超有名であった。
彼女は1982年生まれということは36歳の油が乗った頃、旦那は何人目だったかか持てすぎである。歌手時代の写真はバンバンでも怒らないだろうと、写真を探していたらJakameshi.comさんが2017年に彼女のケーキ営業など探訪していた記事がある。さすがである。

2021年2月10日 (水)

カルべ薬品がナンバーワン

大富豪に列するBoenjamin Setiawanであるがこれは昨日取り上げたコロナワクチンを開発中のKalbe Farmaの創設者であった。偶々富豪は皆長命で彼も長命故ビジネス用の文書としては第2世代以降を挙げねばならないとして探していた人物でもあった。氏は1933年生まれであるので、既に87歳ながら純資産41億ドルのインドネシア第8位である。
Mitra-keluarga
実はKalbe Farmaは民間会社であるが名前にFarmaが付く薬品会社が国営で3社あるのでKalbeも国営とばかり思っていたのでトップも公務員で定年があると思っていたのがこれだけの富豪を今頃筆にしている理由である。
インドネシア大学の薬学部卒業後、米国のカリフォルニア大学で博士号を取っているので、後にDr. Boenと愛称が付いている。一時UIの講師なども務めていたが薬品製造を思い付き、然る人に依頼したが断られたので自らやることにし、タンジュン・プリオクのガレージで試作を始めた。そして兄弟5人と共に1966年に会社を設立し、その後も倒産したりしながらの苦闘が続いたようだ。
ガレージの話は世界の大富豪のスタートの話と共に講演の話題としている。
今では薬品の名前/ブランドのPromag、Neuralgin、 Mixagrip、Komix、Extra Joss や Prenagen がある。業種としても、薬剤や医薬食品、包装・輸送業の他、病院経営のMitra Keluargaがあり既に25病院も経営しているし、Kalbe InstituteやKALCareアウトレット、KalGen Innolabラボを設立し又
Saka Farma、Dankos、Morinagaとの合弁もある。2008年彼はビジネスを姪に譲り、彼自身はこの幹細胞・がん研究所の研究に専念しているそうだ。譲った姪のBernadette Ruth Irawati Setiadyは現在会社の監査役会長に付き社長VIDJONGTIUSは財形畑のプロ・Kalbeで、Pontianak出身のインドネシア人だ。1985年トリサクティ大学卒業後会計事務所5年経験し90年にKalbeに入社している。
時価総額で言えば1位はKalbeの74兆、Sidoは第2位の23兆、3位はKimiaの18兆であった。Kalbeは東南アジア一の製薬会社である。
本社はSoeprapto通りであるが、古い建物であった。病院の方はいつもMM2100/KIICに行くとき見掛けのを思い出した。

2021年2月 9日 (火)

JamuのHidayatファミリーはNy. Rakhmatのお陰

2020の富豪リストに、小生の頭に入ってない名前があった。Irwan Hidayatで堂々5.5億ドルの17位である。
Tolak-angin読むとあのシドムンチュルという伝統ハーブ薬の会社である。ブランドはトラック・アンギンという風邪薬風なのでコロナに効くか確かめて見たい気がする。しかしシドムンチュルと言えば創業者はNy. Rakhmat Sulistioと言い女性のビジネスエクゼクティブで特集を組む予定の人であった。関連記事を眺めるとこの人は倫理政策時代の香りがするし、Hidayatとの関連も出会うのが難しそうな印象で、今、急遽解明に取り組んでいる。そして判ったことは;

Rakmatはなんと1887年生まれであったので当然お亡くなりになっている。彼女のサクセスストーリーでは最初は牛乳で、ブランドはMelkrey で夫と商売を始めた、その後は1930年代はパン屋なども手掛け、1941年趣味からジャムに変更、名前もTolak Anginと云う風に変わって行き、ブームもあり定着したがその意味は‘Impian yang Terwujud’である。1975年CVをPT に変えてIndustri Jamu dan Farmasi Sido Munculと現在の名前になっている。彼女は1983年没であるが、その前に娘さんのDesy Sulistioに引き継がしていた。1984年、スマラン新工場やヨクヤの近代的拡張などをへて2000年インドネシアで初めて薬品認定のジャムの認証を得ている。
現在のOwnerのIwan は第三世代だと言うことで、多分Desy Sulistio がJahja Hidayatの妻となり、その子供であろうか。既に73歳で、既に多分第4世代に移っていることだろう。Sofjan Hidayatなど4人(3男1女)がおり、少なくとも3人の男性Hidayatが役員陣にいる。決算はコロナの今も好調のようだ。時価総額ではKalbeに次ぐ2番手である。株主は彼らの中核Hotel Candi Baruがなっているようだが最近シンガポールの投資会社が21%保有しているなどの報道もある。最近何かと言えばシンガポールが出てきているのが気がかりだ。

2021年2月 5日 (金)

NIROが、パンゲスツとは!

Pacific Life という投資会社がPT.City Retail Developments Tbk (NIRO).の株に惹かれた(kepincut)と言うニュースがあり、聞かない会社だなと調べると本社はジャカルタだが開発物件は地方都市で、Cirebon Super Blockや The Park Solo とかBorneo Mall Pangkalan Bunが出ている程度であった。
この投資会社自身がこのNIRO株の5%強を保有しているが、それはKSEIの昨年の1/28日の記録だけで翌日も月次リポートにもその名前は無くなっている。
そして四半期前の決算は何千億の売上を確保していたが、それは過去5、まれにみる良い決算であった。つまり2012年に上場したのであるがこの5年は一度も黒字を出したことがなかったもので、むしろ、2019年9月30日現在、NIROが計上した純損益は、赤字で前年同期の120億から190億ルピアに膨れ上がっていた。
従って(Dus)、この株は良好な(ciamik)株は云えない。ちなみに(言ってよければ:Omong-omong)、このNIROという会社の現在の独立監査役はPingki ElkaPangestuで、Pingkiは、2020年3月1日付けで世界銀行の開発政策およびパートナーシップ担当MDに就任した元貿易大臣のMari ElkaPangestuの兄である。多分名前だけを軽い気持ちで貸したのだろうか。不動産関連ではゴーレン株になったものが多いようだが、この株は現在未だなってないようだ。周りの株でMYRXやLCGPやRIMOなどは、取引停止となっていた。

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