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2021年4月15日 (木)

モロタイの高砂義勇兵

Googleのカメラ隊も立ったこともない辺境のハルマヘラの新空港に行ったジョコウイに敬礼し、折角の機会だからこの地の一つでもブログにしようと思ったが最後の日米会戦地モロタイは“遅すぎる降伏 沖縄とモロタイ”として過去に書いていたので読んでもらおう。
26974museum2btrikora2b25262bperang2bduniこの地には我が祖国台湾の高砂族の人が義勇兵として派遣されてきていたが、この人はあの最後の日本兵と言われた小野田少尉と同じ年に敗戦を越えて29年も逃亡生活を余儀なくされた元日本兵なのである。それは恥ずかしながらと戻ってきた横井さんに続く3人目として続いたものであった。
この3人を要点で挙げて見よう
* 横井庄一軍曹 (名古屋1919-1997) グアムで1972年発見、後サバイバル評論家 参院選にも
* 小野田寛郎少尉(和歌山1922-2014)比ルパンぐ 1974、後ブラジル開拓名誉州民 青年塾
* 中村輝夫(高砂族本名あり 1919-1979(59歳)  1974年12月モロタイ。
小野田さんは夫婦で日本会議などでも活躍し天寿を全うされたが後二人は尾を引いたのか病没である。漢名では李光輝と言われて、モロタイ現地で銅像もたつが、日本の賠償政策が良かったのか、最後は日本に帰る夢をみながらの往生であったという。(詳しい雰囲気はWikiをどうぞ)
モロタイ・ハルマヘラはマッカーサーのI Shall Return作戦の基地ともなった重要な地点で日本兵2000人に対し57,000の米軍で制圧したところで、どこかにマッカーサーの銅像(Zum-Zum島)も立っているはずだ。中村さんの銅像は多分建て替えられ、戦争モニュメンに、又立派な戦地博物館もある。島民有志の活躍と、州政府の観光資源化の努力がすごいようだ。新飛行場は出来たので、その気になれば行けるかもしれない。

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