インドネシアの国防大学UNHANの位置付け
大学通りと評したディポネゴロのプルサダYAIの辺りの大学に ~7つもの大学があると言ったのでここから離れられないが、まさにYAIと隣り合った大学にUniversitas Pertahanan ―Salembaと言うのがあった。入口はサレンバ通りになるが正面から見るとバックに高いビルが3層に重なる写真を見てYAIを抜く高層の大学の存在に驚愕する。本部の住所もBogorなのでボゴール農科大学(Institut Pertanian Bogor,)かと勘違いするがPertanianでなくPertahananだから農業でなく国防である。いわば防衛大学なのである。スビアント国防大臣が拡張(軍事工学、薬学、医学部および数学と自然科学部の校舎として20ヘクタール)を約束していたので国立でもある。
しかし此処も一般人の入学を認めている。 昔、高校から防大に進学した友達もいたから日本の防大と同じ様なものかと思ったが、その上の大学院クラス(Magister)になるのであろうか。
Perguruan Tinggi Negeriというから師範学校を想像するが、確かにこの発祥はインドネシアでは陸軍参謀司令官学校(Seskoad).である。 ときの国軍司令官で、同時に陸軍参謀長ある Djoko SantosoがSyarifudin Tippe, S.IP中将にSesko卒業後の大学院にあたる戦略コースの大学設立の指令を与え 国防大臣Prof. Dr. Juwono Sudarsonoが設立の決定をしたものである。
Universitas Pertahanan IndonesiaでUNHANと略称され本部がBogorのSunterにある。ここSalembaは分校であり、裏の高層ビルは隣のコンドミ(Capitol Residence)であった。
こうしてこれら関係者が設立者として名を連ねているがSBYの子息AHYの名前もある。
思い出すのは日本の昔の陸大であるが、軍の統帥部スタッフ養成の学校はインドネシアではAKMILである。AKAMILは前身AKABRIでもあるが、これは陸空海共通の国軍が持つものである。インドネシアはSESKOとUNHANとAKMILの3段構えである。
« YAI大学の風格 | トップページ | インドネシアCapitalのCapitolグループ »
「インドネシア地誌」カテゴリの記事
- Binawan大学キャンプス写真の新旧(2022.07.07)
- 箸も筆も進まないのはロシアの所為か(2022.06.27)
- Ascottから Capitalandへ、The Statureの今(2022.05.17)
- 国民民主党とNasdem Tower(2022.04.04)
- コタ・デポックの成立(2022.02.26)
「インドネシア歴史」カテゴリの記事
- バイラワの巨神の意味(2022.03.25)
- コタ・デポックの成立(2022.02.26)
- Menteng 37がMansion la Fonteineに(2022.02.09)
- 2021年英雄の日と映画の日(2021.11.13)
- インドネシアの国防大学UNHANの位置付け(2021.05.13)
「インドネシア文化」カテゴリの記事
- Binawan大学キャンプス写真の新旧(2022.07.07)
- 国民民主党とNasdem Tower(2022.04.04)
- ジャカルタ洪水シーズン(2022.02.17)
- 再々 RCTIのRajawaliの謂れ (2022.01.12)
- TPPIのトップの犯罪(2021.09.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント