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2021年7月20日 (火)

サヒッド村を散策、全部Sahid家?

Sahid-istana-sudirman-center
村と言ったが別に邑ではない。Kawasangとも言われるが、Sahid Cityと言う言葉に出会うこともあった。主体であるSahid Jayaの文献に、そのような表現があったのかどかは記憶にない。

Sahirmanresistanaoffice
小生自身、Sahidホテルの裏側の病院に入院したことがあったが、その時、確かにこの地域は色々気を引くものがあるなとブログにしたいと思ったものの、調べる内に、その周辺の事実が一筋縄でなく、テーマを絞って行けなかった。
サトリオ通りとスデルマン通りが交差する角地にホテル・ル・メリディアンがあるが その隣がサヒッド、更にダヴィンチビルからミッドプラザがあるがミッドプラザの所で左に折れる道(Karet Pasar Baru)がサトリオ通りに出てこの三角地帯を形成する。

Sahid-res-midplazaayana-hotel
しかしミッドプラザの裏のアヤラホテルの間の奥に行く道があり、これもサトリオ通りに出る。

Sahid-butiqueseherman
この道は名なし通りであるのでSahid家の私道的で向こう側にSahid Office BoutiqueとSahid Sahirman Memorial HospitalというSahidのビルがある。
所でいつの間にかLe MeridianホテルとSahid Jaya ホテルの間にも道(Jl. Sahid Sudirman)が出来てSatrio通りに抜ける。こうして、出来上った地域こそがSahid Sudirman Komplexになる。この中にはSahid Jayaホテルとセットで古くからあったIstana Sahid アパートと、病院の前になるSahid Sudirman Residenceと最新のOffice TowerのSahid Sudirman Center がある。この中側の4つのビルと外の2つビルの合計6つのビルで出来上がる地域が小生のSahid Cityなのである。
名前は確かにSahidながら、Office Tower と Residense Towerの所有オーナーはSahidでなくPIKKOであることが前面に出ていたことが小生の自信なさにつながっていたのであるが、今日ヨクヨク報道をよむとどうやら二つともPIKKOが主ながらSahidも協働するKSOであることに自信が出来た。Office Towerについて、PIKKOグループが全部仕事をして上がりはSahidは1/3だけを頂けると言う事らしい。PIKKOは今迄の20~30件のコンドミの実績があるがPIKKOの名前を付けたものはない。しかもこのビルははStrata Title(分譲)でもある。
PIKKOは非常にロープロファイルで、多くの実績あるのに名前が売れてないのだ。そのため自分自身よく何度もブログにしたが、親しさを感じることが出来てない。何故、サヒッドはPIKKOをパートナーとしたのか、と言う疑問もある。
他にSahid Sahirman Memorial Hospitalであるが、実際は2019年7月に名前がRS Murni Teguh Sudirmanに変わっており、Sahidは多分この大手の病院チェインに売却したものと推定される。
この記念病院はGitosardjonoの父と夫人の父の名前を付けた記念病院だったのであるが、それは彼らの父達は病院を経営し、教育や宗教・文化社会事業に熱心であったことへの記念だったのだそうだ。 そうするとIstana Sahidアパートの外側(City Walk側)にあるSahid Office BoutiqueにはLa Salleと言うCollegeがあるので、これの名前にSahidが残っているのは その名残だろうと推定した。特にこのBoutique が建つ前にここにバリ漁師料理のレストランがあったので、それがサヒッドであったことには自信がある。

なおこれらのビルの住所を見て見ると皆 Sudirmanであり、皆、Kav No..86である。そうして念のため売却したであろうHospitalを見ると同じ住所であり且つご丁寧にSahid Cityと言う字が躍っている。不思議に思って、Google Mapをよくみると、ビル毎に示すビル名が上記の私道通りの内側に誤って表示した結果であったようだ。(そこはResidenceが立つ場所なので両者が重なるが如き表示になっている) ついでに言うとIstanaも表示場所が奥過ぎて、間違っている。
この地域はホテルが三つもあり、多くの日系などのレストランや日系企業が入居しており、La Salleの裏隣は日本人に優しいショッピングプラザのCity Walk(グヌンセウ)もあるので、永くブログで持ち上げたかった地域であった。


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