ジャラン・サバンの賑わいと変遷 Kampung Lima
パパイヤがメンテン・サバンに出店したと言うのでGoogleで訪ねるとちゃんとその名前で出ていた。サバンと言うのは昔の道路名で今はAgus Salim通りで小型デパートロビンソンの前に当る。この辺りは10年前でもSinar Masがエンクロ―ジャーしていた土地があり、その傍でもある。Google Mapは自分で、自分の店の所在地を書入れることが出来るのだろう。Thamrin通りの始まる鉱山エネ省の前の道路にはDuta Besar Jepanの字がある。
昔、その点を下って300mの所のATDビルに日本大使館があったが、このGoogle Mapの指し示す所在地はそれは昔の名残のようで、且つ離れ過ぎで間違いである。
ジャラン・サバン通りは昔から大変な渋滞の通りで、渋滞の原因は両端に駐車する車両の為であるが、それだけに商店街が賑わっていた証拠である。
少しクブンシリー方向に進むと左手にMaxOne HotelとかHotel Ashlayという中型ホテルがあるがその横の路地は昔のBank BDN(今はMandiri)を抜けThamrinに出れるような、出れないような道がある。 この抜け道辺りは昔は屋台があるだけであるが、小生の古いフォルダーに中に;Kampung Lima as Night Shopping Destination December 28th 2006と言うのがあり、それでここを訪ねたわけでもあるが、このニュースはまだ計画段階の話で、その後は進展なく駄目だったようである。Pan Pacific Hotel横の空き地は整備はされたが新たな出発点は見られない。
ここから更にKebon Sirihの方向に向かうと直前にKopitian Oeyと言うコーヒー店は健在だがその手前のHot Pot店は別の店Bakso Boedjanganにとって代わられたようだ。その正面の角地にあったTugu Groupの二つのレストラン、“上海ブルー”とSamarra Pasar Sate & Barは見つけることが出来なかった。Barの方はMonmi菓子店?に変わっているようだし、樹木で良く見えないからだ。
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