Kebon Sirihのガルーダの家
昨日のジャランサバンの端のSamarra Pasar Sate & BarはMonami菓子店か何かになっているようだと書いたがあの店はKebon Sirih側にあり、昔看板も出ていた店は今は無いようだ。
この店の右向こうの空き地めいた横は多分ガルダが所有している部分があると思うが、其処に昔からオランダ植民地時代の家がある。昔、その辺の人に建物の由緒を訪ねたが、 メモしなか
ったばかりに未だ悔いている。この手の家の形式はオランダ人の住宅として流行ったWoon Huisのようであり、それとKebon Sirihで検索すると2つほど引っかかる
一つはHet huis van de familie M.C. Westerman op Kebon Sirih 20 in Weltevreden, Batavia 1928でる。Kebon Sirihの20番地とあるので、ここは番号もろとも現在も変わらないものとして
写真を比べると似ているようだ。屋根はジャワ風に角隠しをしている。
あと一つがGezicht op een woonhuis aan de weg Kebon Sirih in Bataviaとしてでてきた。
こちらは側用入口が似ているようだ。こちらは1866年代というから相当手直し補強がされて居て当然である。
そしてKebon Sirihにはこの他に、例えばNo.88のAbdul Muis通りの方にも、副大統領官邸付近にもWoohHuisはある。正確な対応は出来てなくとも、歴史を忍ぶことは出来る。
ここでは画像がぼやけるが、この家はA.A. Schenk氏の標識が出ており、家の前の馬車の車輪までくっきり見えている。昔の写真術に感心しているが、それをうまくここに表現は出来ない。
このパソコンのPriScreen機能もWebキャプチャー機能(webのみか)も駄目になって苦労している。
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