Menteng 37がMansion la Fonteineに
Hermitageホテルの開発者としてPIKKOとWijaya Wisesa Realtyは、別途Apartemen Menteng 37を共同開発する計画である。添えられた写真の建物は大きく、この場所にはふさわしくないが昔のアルヤドゥタホテルの近くではある。(チキニ通りへの入口)
Menteng 37とは、このMenteng Raya通りに面するインドネシア闘争記念館 Gedung Joang 45をMenteng 31と呼ぶ習わしがあるから、ここをMenteng 37と言っても知る人は、その背景を知る。
小生は2007年に「Menteng No.37はHans Selaiman氏のもの」で書いているが、オランダ時代のWoonhuis住宅で市のHeritageに指定されている。
計画では6,000m²の土地に26階建て119戸の住宅であるが、85億から195億ルピアの値段も付いているので、建設は進んでいるのであろう。
Google Mapではまだ建設着手前の写真しか入手できない。写真には新しい名前だろうか Dafontein Mentengと名前が付けられている。
Dafonteinとはなにか、17世紀、寓話集を書いたフランスの詩人Jean de la Fontaine(ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ)だろうか。少なくともオランダ系綴りであるが、ホテルのブランドかも知れない。
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