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インドネシア地誌

2022年5月17日 (火)

Ascottから Capitalandへ、The Statureの今

先日来、Harris ホテルから親グループを辿り、まず Tauziaグループ、そしてAscottグループ、そこからCapitalandグループに来た。

Wiki的にはキャピタランド グループは本社をシンガポールに置く、アジアで最大規模の総資産(2017年現在 S$850億)を誇る不動産企業であり、世界40カ国以上、260以上の都市に、特にシンガポールと中国を中核市場として、インド、ベトナム、オーストラリア、ヨーロッパ、米国などの市場で事業を行っている。
シンガポール政府系Temasekの子会社である。。2000年にDBS銀行の子会社であるDBSランドとSTプロパティ・インベストメントの子会社であるピデムコランドの合併で誕生した。従業員数 12,100 (2020年)、その物件総数は1,209件とある。
事業は大きく言えばCapitaLand Developmentと言うのと CapitaLand Investmentの2本立てである。

例えば日本ではキャピタランド・ジャパン株式会社を2001年に設立し、投資管理を行うと同時に分野別的に2002年にサービスレジデンスの管理請負を行うアスコットジャパンとショッピングモール及びその他物件の管理・運営を手がけるキャピタランド・インターナショナル・ジャパンの3本建てで迫っている。

インドネシアに対しては子会社Ascott Ltdを通じてインドネシアの企業との提携を通じて拡大しており、その一つがCiputraグループであり、最初は1996年Ascott TrustによるSomerset Grand Citra Jakarta(Mega Keningan)、2014年にはAscott Kuningan Jakarta、2017年にはAscott Sudirman JakartaをCiputraより取得し、2018年にはMr Kevin Goh, Chief Executive Officer of The Ascott とMs Isabella Ciputraとの改めての戦略的提携契約の下、Citadines Sudirman Jakartaをオープンした。

この契約の後に続いたのがTAUZIA Hotel Managementとのパートナーシップである。この時点では60件(?)の物件があったが、現在ではAscottは39都市の130件(?)のロッジングサービス拠点を運営していることになる。
Stature-kebon-sirih
この他に現地ディベロッパーCredo Groupと50:50の合弁で複合施設を建設したのがThe Statureで29階建ての豪華マンションのStature Residences、24階建てサービスアパートAscott Menteng Jakarta及び20階建てのオフイスStature Towerからなる。

Statureとは背丈の意味であるが、多分 “威”の意味があろうか。
ロケーションはKebon Sirihと言うので、Google Mapで確かめたが、他に完成写真などもなく日本からではその存在の確認は一寸難しい。
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昔、この通りの南側にDaon Sirih Food Gardenという大きくて立派な古風建物の施設があったが、取り壊されたようだから空き地候補としてはここである。Daon Sirihの方が市民にとっては有難たかったのではないか。
Capitaland の最近のプロジェクトは上海のRaffles City the Bundと言うのがあるが次回に譲ろう。
今日はStatureの発音を確かめたことが収穫であった。
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2022年4月 4日 (月)

国民民主党とNasdem Tower

Nasdem-towerNasdem-tower
SerpongのParamount EnterpriseのあとCikiniのParamount Restをブログにしたが、この広東中華料理店の正面当りに最近巨大なビルが建っているのを目にした。Googleしている最中に、屋上にHelipadを持つ独特なデザインに惹かれたが、このビルはNas Dem Towerと称する21階建てのビルである。
Nasdem-duluここには私が未だジャカルタをウロウロしているころは2階建てくらいのNasDemと言う政党のオフイスが有ったので、それをブログにする何かニュースを待っていたのであるが、いつの間にか、このビルがTowerと名付ずけて立っていたのである。
他に飛び込んで来たのはこのNas Dem党に関わるニュースである。この政党は現在はJokowiと共存していたのか、2024年の大統領選挙の延長アイデアには反対で野党であるユドヨノのNasional Democrat 党に歩み寄る話のニュースであったが、未だ先の話であるのでこの内容の詳細を確かめないまま少し過去を見て見ることにした。

Nas Dem党と言うのは国民民主の意味でTVのMedia グループの総師Suryadharma Palohスルヤ・パローがヨクヤのハメンクブウォノ10世などが2010年頃、後押しした若人のグループであったがPalohの政党化にはついて行けずハメンクブオノ10世はさったものの、2013年から2018年迄Palohが党首を務めた。彼自身はゴルカル党の上級メンバーとして 40年間務めており、2004年のゴルカル大会で大統領候補指名を争ったが、敗北している。2014年、共同創立者の後一人のメディアMNCグループの富豪の Hary TanoesoedibjoもWirantoの下に去って行った。今は名前のよしみでユドヨノに近くなっているようだし、2024年の大統領には現ジャカルタ州長官を推すのか、誰を押すかなどは未だ決めてないとしている。

NasDem党は国のLembaga Ketahanan Nasionalをモデルとした国家指導者養成コースを目指した教育機関ABN Nasdemを持っているが、インドネシアで唯一の種類の政治企業大学である。このビルにあるのかな

2022年2月26日 (土)

コタ・デポックの成立

デポックはジャカルタ南部を拠点とするわれわれには短いのでデポックはジャカルタに帰属していたとばかり感じてた時代がある。東京大学が東京都にあるがごとくインドネシア大はジャカルタにあるとも感じていた。ジャカルタが州であるのでその下にジャカルタ北市とかプラウスリブ県とかデポック市などで成り立つ感じである。今のデポックは西ジャワ市に属し、バンドン市やボゴール市などと並列する市なのである。市になる前はボゴール県に属する郡(Kewedanaan県助役がいる Kecamatan)であったのでジャカルタに属したことはない。Kota Depokとして市となったのは1999年4月である。
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このデポックの生まれに関わる歴史については”デポックの謂れ”など何度もブロクしているが、正しい理解の仕方から再度補足して更に身近に感じて見たい。
デポックは17世紀終わりにCornelis Chasteleinと言う商人が保有したという事で、そのDe Eerste Protestante Organisatie van Christenen(最初のプロテスタントの組織)の頭文字が一つの語源とされたりしている。この地区は彼が植民地政府から購入したものであるので独立した言わば国とも言えるものである。18世紀にはChasteleinが支配した 市民政府或いはgemeente bestuur(自治権を有する市議会 ?)の性格が納得されて行き、1871年に法的にも自治権が付与された。購入した土地は12.4km2の広さでそこを連れて来たバリからの奴隷を中心に開拓しジャカルタのPassar Mingguからgambirに至っていた。Chasteleinが亡き後、それらはそっくり奴隷たちの住民に任されていたようで1913年にはHet Gemeente Bestuur van Het Particuliere Land Depok(デポック特別市議会)の大統領を選挙で選んでおりその後、3代の大領領がいたと言う。市政府は現在のRumah Sakit Harapanが建つところにあったそうだ。1952年に最後の大統領マティス・ジョナサンによって、これら土地の行政権をインドネシア政府に引き渡され、更に1981年にはDepokの資格をKota Administratif Depokとし配下にPancoran Mas、Beji、Sukmajayaの三つの郡(Kecamatan)からなるものと整備されて、その後この下の17の村(desa)は23の町村(Kelurahan)になったが、上記の1999年4月のKota Depokの発足と言うのは従来の第2級地方都市から名称的にKotamaja Depokとなったものである。
DepokはUIの呼び込みや1976年からの国家住宅プロジェクト施行もありジャカルタと共に発展してきたが、当時の建物などは破壊されており、現在改めてデポックの歴史再開発運動が起こっている。自治体が行う再活性化プロジェクトは例えばバンドンのBraga地区やジャカルタのKota Jakarta地区の様に観光地区として再生する保存活動になりやすい。ジャカルタのKOTATUAの世界遺産申請は、開発のポイントをより手入れが簡単な20世紀以降に置いた商業化である為、ICOMOSの審査が困難になり2018年申請を取り下げている。Depok Heritageプロジェクトと言うものも、こうした植民地時代を破壊する反植民地化ではないもので有ってほしいがもう手遅れのような気がする。
00-depok-gkib-jun07-depok-023小生のブログではイマニュエル教会や幾つかのカントリーハウスは紹介したが、まだまだ何かあるはずなので、泊り覚悟で探検に出て行かねばならない。
Hotel-margo_20220228183601泊まるならこのホテル(Hotel Margo)が良かろう。ここにはかすかに植民地時代の名残が残っているようだが、それはオランダ人のカントリハウスがPondok Tjina地区にあったがそのPondok Tjina Landhuisのファサードである。
Chasteleinは当時の中国人の5つの悪性癖から中国人が手元の労働者を毒さないよう地区に入れないよう講じたため、中国人商人はcina人地区を作り住み着いた。この住居はオランダ人が建てていたものを或る中国商人(Lauw)が購入したものである。ホテルでは何の説明もないそうだ。

2022年2月21日 (月)

メンテン・スクエアーのBahamaグループ

Menteng-squareApartemen Menteng Squareを見たのはいつ頃だったのだろうか。記録ではこのビルの完工は2011年であるのでもう相当古い。マトラマン通りの角地に、もともとアパートがありそこに大学を発見したこともあり横に流れるチリウン河を辿るとディポネゴロ通りに出ることはブログで報告した。このアパートは22階建ての3棟が並んで、威容は誇っているが、前の道路の名前で所在地を示すことが難しい。Google MapではFlyover Pramukaとなっている。拡大してFlyoverの下を覗くとMatraman Rayaとなっている。Matraman Rayaと言えば北から来るSalemba通りがここのPramuka交差点を越えるとMatraman Rayaと変わるのでその通り名と同じでちょい借りである。 ここから独立宣言広場方面に行く道はもうJl. Proklamasiとなっているのでちょい借りした長さは3百メーター程度である。 この南の地区はMatraman Dalamと言えばいいだろうか 
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その真ん中にTaman Amir Hamzah という公園があり、近くにオバマ大統領が幼少時代住んだ家があると言うので来たことがある。
アパートに戻ると、最初見た時の印象はセカンドクラスに感じられた通り、戸数が1,600もあり、小ぶりだ。値段は33m²家具付きで月額Rp350万或いは560百万での購入も可能とのこと。更にSoho(Small Office Home Office )タイプもある。

開発者はBahama Group言う聞きなれないグループであるが2007年設立で彼らはここの他にPejaten Park Residence, Catalonia Tower, Sentosa Worldwide Resort North, Sentosa Worldwide Resort South, The Alana Pejaten 及び The Green Bintaroがある。Sentosaは下のような表現になっている。
- Sentosa Worldwide Resort North Cempaka Tower
- Sentosa Worldwide Resort North Rafflesia Tower
- Sentosa Worldwide Resort South Cempaka Tower
- Sentosa Worldwide Resort South Rafflesia Tower
Pejaten-park-menara-cawang別の資料では、これらの他にMall Botani Square Bogor、Arandra Residence Cempaka Putih, Menara Cawang、Menara Kebon Jeruk, Landed House Permata Pondok Cabe、Sea Sentosa Canggu – Bali、Hotel I-Nap、Hotel Santika Bogor、Best Western Mahakam View Condotel Samarindaとかあり、今頃このような事件に会って驚いている。
Bahama GroupはReddy Hartadjiが創設したが、今は娘婿であるRadityo Nugrohoが受け継いでいる。彼は金融関係の知識と経験があるが、Hartadjiには3人の友人Sutajaya、Djoko Darmanto 及びErfan Radistyaがおり、会社を技術面から支えている。
尚Bahama Sumbur Utamaと言う金属ガラス・ファブリケーターの会社(代表 Kosmas Wie)が別にあるので混同しそうだった。


2022年2月14日 (月)

メンテンのApartmentとCikdiTiro二つ

Amartemen Menteng 37で高級住宅地であるメンテン地区も、ここ迄ビル群に押されてきたかの感がある。
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この他既にMenteng Park(チキニ・アグアン)と言う高層3連棟のアパートが由緒あるイスマイル公園を圧しており、
Menteng Square Tower と言う名前のこちらも高層3連タワーA,B,C(バハマ)がマトラマン地区から迫っている。
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MENTENG EKSEKUTIFは一番最初の近代的マンションの一つでチキニ駅前に建つ。戸田が購入した筈だ。
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MENTENG REGENCY(ゴンダンディア・アンコ)も名前からは大きな建物を想像するが、アパート訪問記にはBoutiqueと称されている。

ここに来た切っ掛けはメンテンのエルミタージュホテルからそのオーナーがやっているMenteng 37だったのであるが、このグループWisesaが建てたエルミタージュホテルの近くにCitDITIRO云々があり、これもMentengのアパートだから迫っているのである。
そこには二つあり、まず場所を確認する。
Tik-di-tiro-residenceHermitage HotelのあるCilacap通りから大通りのTeuku Cik di Tiroに出て直ぐの右手にあるのがTikditiro Residenceであり、
00tikditiroapartその道をMenteng 37の方に北上する途中のデビ夫人が住んでた近くのSuwiryo通りが出てくる所に1@Cikditiroがある。どちらも10~11階のBoutique作りである。
この事はWisesaとPikkoの合弁サイトhttp:Da FonteinのTentang Akuで言っているので間違いはないだろうが2011年築のWisetaの物件である。
所が、それらはDuta Anggada だという調査記録もある。このことは未だ裏確認が出来ていないが時点のちがいだろうか。
メンテン地区の大きなApartemenは、あとFraser Residence Mentengがある位だろう。

2022年2月 5日 (土)

MNCのオフイスビル群 Srikayaなど

Mnc-center
Ariobimo Sentralビルを一時所有していたと言うMNCは、その後Kebon Sirih地区に多くのビルを建て、MNC Villageを作った感があり、その他Kedoya地区やスラバヤ・バリ含めMNC Landが保有するオフイスビルは全体で400,000 m²ともなった。それらいくつかか個別ビル名で挙げて見よう。
1) MNC Tower :Kebon Sirih 29F、120m
  本社ビルはMNC Center或いは Towerと称している。住所はKebon Sirihとあるが、アクセスはJalan Srikayaである。この地区全体を
  MNC Towerという事もありそうだがここはMNC LandとMNCグループのMNC Sky Vision, MNC Bankが入っている。別棟として次の二つが
  ある。
2) Gedung High End:5F、Okezone が入っている。
3) MNC Plaza:2F、MNC Tower のPodiumである。その後ろにこの地区で一番高いビルがある。
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4) Park Tower、37F or 39F、173m、2019年完工。
  MNC Media Towerと称することもある模様。6スターの the Park Hyatt Hotelがある。ここから北西端に次のタワーがある。
5) MNC Financial Center:22F 2014年
  2014年完工、グループの金融部門子会社のMNC Bank, MNC Sekuritas, MNC Life, MNC Finance, MNC Asset Management, MNC Leasing,
  MNC Insurance及びSPINを収容している。
  この5つのビルの南はWahid Hasym通りに近くなるため住所は別になるが次の二つのビルがあり、この7つを勝手にKebon Sirih Villageと
  名ずけた。と言うよりここは国鉄線に沿った縦のSurikaya通りに面しているかも知れない。
Mnc-village
6) iNews Tower: Wahid Hasyim 16F
7) Gedung Sindo:Wahid Hasyim ,8F

そのまま番号を続けるとKedoya地区に3つ、或いはスラバヤバリの物件をつづける。
8) MNC Vision Tower:Arteri Kedoya, Kebon Jeruk,10F
9) MNC College :Arteri Kedoya 10F
10) MNC Studios :Jalan Raya Perjuangan Kebon Jeruk 18F:
  三つのTV本社を収容。ビルはG3TVと略する。RCTI, GTV, MNCTVである。
11) MNC Tower Surabaya:Taman AIS Nasution 12F
12) Gedung Indovision Bali 4F
13) One East Penthouse & Residences : Surabaya together with Oakwood Hotel & Residence 33F 159m
この他Bogor郊外Lido地区の3,000haものLido Lake City Resortの諸設備については先の弊ブログ「全解MNCはTVもホテルもパークもオフイスも」を参照していただくことになる。

2022年1月27日 (木)

Plaza Sentralは市の中心のプラザ


IndofoodのSudirman PlazaはPlazaが後ろに付く。普通前に付いて、例えばPlaza Semanggi や Plaza SenayanはPlaza Indonesiaを始祖とするShopping Plazaの命名方式かと思ったが、Ratu PlazaやBlok-M Plaza、Gajah Mada Plaza、Glodok Plazaと後ろに付くものもいくらでもある。古くは後ろに付けていると思ったが、余りルールはなさそうだ。
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Plaza Sentralは1984年であるのでもう古い方である。周りのリソナのビルも昔のDKBのWisma Sudirmanも建て替えられている。ここはスドノサリム系のビルで、建った端は丸紅さんが入っていたが今はインドマルコやオニツカなど日系は2~3社である。 
00-sentral-plaza-belakang裏に駐車場兼用ビルがあり、マクドナルド、中華(或いはスターバック)、バオバオコンビニ、アチェ料理レストや植民ジャワ宮廷料理Kembang Goelaなどがある。基本、車はくるりと回れるようになっており、一応プラザを装っている。
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ビルオープン時の宣伝ビラの写真を発見したが1984年1月だから丁度38年で、戦略的立地とモダーンを売り物にしており、今は無きWisma Kosgoroに居た当時のAgent王手Procon Indahの広告である。21階建てで独自の冷房設備と6台のリフトが売り物であった。昔はかんぱちだったか日系料亭もあった。いい時代だったのだ。
ショッピングセンターを2016年頃数えたことがある。全部で230ほどもあり。プラザを名付けるのは51ケ所モールを名付けるのも51ケ所あったが、どちらも後ろに付けた方が優勢であった。あとはSequareやCenter、ITC、City….などなどである。

2022年1月25日 (火)

モナリザ、ダヴィンチのDr. Doris Phua

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ミッドプラザの横にDa Vinci Towerが建ったのはもう20年近くも前の2003年だったのだ。ここにはセレベスの財閥Indaudaグループのビルが建っていた。当時は何度か来たことがあるが危なっかしいビルのイメージがある。そのイメージもあってか、新しく建ったビルには余り感激もなかったので、中に入ったことはない。
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今見るとあれから中世欧州文化で大分おシャレも施されタワーなどと呼ばれると立派に見え、訪問もしなかったことを残念に思う。34階で177メーター(実際は159m)でオーナーはTony Phua ・ Dr. Doris Phua Ph.d夫妻で高級家具に従事している事業家である。Dorisはホノルル大学に留学しているときTonyと知り合いシンガポールで事業を始めた時は1978年であった。(DaVinciを設立したのは1994年)
正面入り口近くにモナリサの絵があるそうだ。全体の12フローアはDa Vinciグループのショッピングアーケードに使用され22階はペントハウスとして300億ルピアの分譲住宅らしいが全館高級家具に満ち溢れているのだろうか、家具の他宝石・食器類もメイン取り扱いである。彼女は2001年にシンガポールでWoman Entrepreneur of the Yearに選定された。

2022年1月24日 (月)

消えたSudirman Plaza?

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Sudirman 随一の高層アパートThe Peak at Sudirmanの隣り奥のSudirman Residenceを紹介したが、ここにはIndofood Towerの後ろ側にあたるのでIndofood Towerからも来ることが出来るそうだ。その時見ていた地図上にSudirman Plazaと言う文字が浮いていた。
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この名前のShopping Plazaはないはずだがと思いを巡らすうち、それは確かに昔、その様に呼ばれた一角があったことを思いだした。このSudirman Plazaは左手のTowerがIndofoodで右側はMareinTower(23F)の2棟が建っているが、いつの間にかSudirman Plazaが無くなりPlazaの名前はPlaza Marein として残っている。中に入るとPopolamama とかBaskin RobbinsとかいくつかのレストランはあるがShoppingではない。そしてIndofood Towerの方の28FにはThe Mayflower, Jakarta – Marriottと言う4スターホテル兼サービスアパートがある。このビルにはIndofoodの本社やIndobiskuit Mandiri Makmurなどの会社が占拠しているので、他にAustindo Nusantara やSuryamas Dutamakmur Tbk.も入っているがIndofood持ち物であろう。全体の建設は PT PT Adhi Karyaが請け負ったものだ。
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Plaza Mareinは明確に分譲タイプとなっている。MareinとはPT Maskapai Reasuransi Indonesia Tbkと言う会社の愛称である。再保険会社であるので馴染みがないがインドネシアでは一番古い1953年設立、1989年上場の会社である。一応株主と役員を記録しておこう。
株主は輸入業なのかPT Graha Sentosa PersadaでRobby Loho監査役会長とYanto Jayadi Wibisono取締役社長である。
そういえばこのビルの直ぐ右隣はPrudential Insuranceであり、右奥はMSIGシナールマス保険のビルで、図らずも保険ビル街であったのだ。

2022年1月19日 (水)

Sudirman Mansion Residenceも多数

マイブログ「Menara タムリン vs Menara スディルマン」でジャカルタを代表する通りの名前を冠したオフイスタワーを戦わしたが、アパート迄物件を拡げると多くなる。オフイスとタワーに分けて見たものの、多くはオフイス兼アパートである。
Thamrinと名付けたのオフイスは幸いにもMenara ThamrinだけであったがThamrinとなずけたアパートは昨日「Thamrin Residence etc Thamrinの物件」で完了したので今度はSudirmanの部となる。
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まずはThamrin Residence vs Sudirman Residenceと考えると、Sudirman Residenceは流石ちゃんとあるが、だれもが知っている物件ではないものだった。場所はSudirman 通りのPrudential Towerの裏側に立派な4棟の高層アパートのThe Peak at Sudirmanの更に裏隣りで地名はSetia Budiとなる。
屋上プールのあるペントハウスもあるが、ここは4階建て60戸のタウンハウスというべきものであった。近くにSetiabudiの役所がある閑静な所だ。
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序にと言うか、このThe Peak at SudirmanこそSudirmanのResidence部では代表とすべきであるが偶然にThamrinの代表のThamrin Executive Residenceと同じAgung Podomorono開発である。こちらは2007年完工の4棟で、55階建て218メーターが2棟と35階建てが2棟で、35階建ての方はFraserがサービスアパートとして運営しているFraser Residence Sudirmanとも言われる。55階建ての方は同じPodomoroグループのPakubuwono Signature(2014年、50階252メーター)の高さに抜かれる迄高さジャカルタ一のアパートであった。尚本案件では小生のブログWoodの不動産で取り上げたPT.Greenwood Sejahtera, Tbkがパートナーである。
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続けると、同じSetiabudi区には、そこから数ブロック下った所、Sudirman Tower Condominium と言うのがある。そこはAryaduta Hotelのあるブロックで、Lippoが運営しており、彼らはSTCと呼んでいる。 そこからSudirman通りの向こう側に渉ると森ビルの隣にSudirman SuiteというApartがあるが、これは何度も調査してアップした物件でPIKKOが開発したが、無事維持しているか心配だ。
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南に下ってSummitmasの手前に前回アップしたMenara Sudirmanの裏手にSudirman Mansionがある。自信はないがさぐり出したデータは35F、145m2である。ここは場所的にはSCBDに属する。207戸のマンションでオーナーはPT. Savitya Tridayaしかわからない。35階の145m2の3LDKが70億ルピアで広告していた。足元がGrand luckyという大きなスーパーマーケットがある。
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その他Sudirmanと言う名前に自己の固有ブランドなどを加えたSahid Sudirmanや Tamansari Sudirman Executive ResidenceやCITYLOFTS SUDIRMANなどがあるが、それらは固有名詞入りであるのでゆっくりフォロー出来よう。
CityLoftの斜め後ろ或いはPavilionの横にSudirman Parkの4棟がある。前回取り上げたが、そのブログでは、小生がジャカルタにいる間は未だ出来上がってないものと思っていたが、この通りである。
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