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今さら日イのはてな

インドネシア地誌

2020年7月31日 (金)

Cibinong周りのセメント工場

昔、ジャゴラウイ高速でスンターに向かうとき、緑の山地の中に煙吐くセメント工場をいつも見ていた。そこは、ジャゴラウイゴルフの前か後か等ロケーションを確かめに、Google Mapを広げたがCibinong-mapそれだけの事で数度驚くことが現れた。まずは南のパームヒルゴルフから行くとこの高速ゲートSentul Circuitを降りてゴルフと逆の方角(先にMetro Resi : 以前ブログで紹介済)に向かおうとするその時、現れたのがPT.Indocement Tiga Roda, Bogorという表示である。Tiga RodaというのはPT Indocement Tunggal Prakarsa Tbk社(スドノ・サリムが創業)のブランドである。パームヒル・ゴルフ場の南に国営のSemen IndonesiaのBeton分工場があり、そして北のJagorawiゴルフ場に降りるゲートでゴルフ場と反対の山側の方にセメント関連プラントや施設がいくつもあるが入り口に近くにPablik Semen Tiga Roda(さっきのIndocementの主力セメント工場)の表示、そしてそこを更に北に上るとPT Solusi Bangun Indonesia Tbkの工場があり 近くにPT.HolcimやSemen Cibinongの名前が出てくる。
このSemen Cibinongこそ日系合弁であったが教訓(ブログ済)を残して消えて行った会社で、その後のすべてを追うことはできないがHolcim(Lafarge Holcim)が保有した時代から国営セメン・インドネシアが買収し現在の会社名はPT Solusi Bangun Indonesia Tbkである。この小さな写真に5つの会社の歴史ストーリーが詰まっているのである。

2020年7月17日 (金)

次なる高速建設の予定 JORR Kite

Most recent Tol ProjectとしてCNBCが10のプロジェクトを挙げていた。それには
1. Solo-Yogyakarta Toll Road (constructionSeptember-October)
2. Cigatas Toll Road (Cileunyi-Garut-Tasikmalaya)
3. Patimban Toll road
4. Bogor-Serpong Toll Road (BSD)
5. Toll Road Sentul Selatan-Karawang Barat
6. Semarang Toll Road
7. Semarang-Balaraja
8 toll road. Cikunir-Karawaci Toll Road
9. Cikunir-Ulujami
10 toll road. Multi Lane free flow or no open door toll payment.
公共工事住宅相が語ったものであるが、10番などちょっと不明で、9番も見るとCikunir-Ulujamは両地点とも既にJORRの拠点ポイントでこれを繫ぐ路線はジャカルタの中心を真っ二つに分けるものとなり考えられない。それは8も同じでKarawatiはBSDの北に位置して更に困難な路線となる。CibuburにKarawaciブランド唐揚げ屋台があるようだがこのことだろうか。7のSemarang-Balarajaとなるとこれも考えられない。多分 別のSemanan – Balaraja 31.90 kmの間違いではないだろうか。Kontan誌も同じ報道があるが、こちらはこの6月にオープンしたスマトラやカリマンタンの地方高速を報じた後の付け足し報道である。

追記:その後不審な点もあるので再確認したが、その高速のCikunir-UlujamというのはJORRの南半分の事で、報道の高速の名前はJORR 2-Cikunir-Ulujami Kiteでその不思議の大元はKiteである。Kiteは英語で凧だがインドネシア語で凧はLayangでこれには2階建ての意味もある。Kiteに2階建ての意味があるか英和辞書は見たくない。つまりこの路線はJapek Layangの時混乱したケースと同じである。ならば今あるのは1階建てだろうかと思いだすと、北のPenjaringan (Kamal)からUrjamiまでは既にLayangであったが、それからは確かに2階建てではなかったようだから、KiteについてはOKとしよう。但し JORR2は外外環の事である。JAPEKで言えばJapek Layang(37㎞)に対するJAPEK2 (南JAPEK 64km)の如くLayangの方にNo.2 を付けては混乱のもととなる。
JORR2はこのJORRの外側でこの辺りで言えば西はUlujamiの南西Serpongであり、東はCibitung(MM2100) である。そして付け足すとJORRのUlujamiからCikunirまでの距離は28㎞以上あり距離が合わない。多分両サイドでは直接JORRに接続するのではなく一般道を利用することになるか、或いは特にCikunir側はそこまで接続せず手前のJatih Asihが終点という。Jatih Asihと言えばJAPEK2(南Japek)の始発ゲートであるのでこちらに繋がるのだろう。 
再度マップを掲げるがJORR2は南の方は書ききれてない。そういえば南の方は未だ入札もされてないかもしれない。
Jkt-toll-map-f_20200717101501日本から少ない情報で推定しながらの作業であるのでこのような断片的推定の書き方になることご容赦頂きたい。

追記2:このUlujami-Cikunirの総延長は21.5㎞である。Jatih Asihは
Cikunirの南,約10kmである。建設はAdhi Karyaとクレーン専門のAcsetである。
追記3:上記の報道で添えられていた写真はParigiでジョコウィが鍬入れ式典に臨んだ写真である。ParigiとはSerpongから北に向かうJORR2の北側である。JORR2の北側は確かに進んでいるということであるが、報道内容とは関係がない写真である。


2020年6月 4日 (木)

Padepokanで修行

00padepokan-sirat-taman-mini-062-2Tirto.idのCEOの A. Sapto Anggoroの紹介記事にASAというPadepokanを設立したという記事があった。

文脈も考えず地名だと錯覚しGoogle Mapを見ると最初にJl. Letjend Sutoyo、Madiunが目に入り又puncak Silatの文字もあり、それでやっと思い出したのがTMIIのそばにあるシラット会館である。自分の過去ブログ記録でシラットで検索すると36件もある。
00-silat-taman-mini-066-2
その代表的の紹介記事は「プンチャック・シラットの教え」や「プンチャクシラットの歴史」がある。しかしそれらの中でPadepokanの文字は1ケ所のみであったことがPadepokanの何たるかを知らないままであった理由である。シラット会館と言ったが、その類の施設で本来は、いくつか引用すると。 パデポカンとは古い学校で,. 小規模で、寺院そのものが学校の機能を果していたもの“とか「過去のジャワの王たちの自己隔離(瞑想?)の場所」とかあるが、武術家の修行宿泊所も兼ねていたのかも知れない。そしてTMIIのそれも今や、
Padepokan Pencak Silat TMII Hotel Jakarta Timurとしてホテルの名前が入っている。(写真は2006年6月)
尚 Mayjen SutoyoはG30Sで犠牲となった将軍であるがLetjen. Sutoyoについては知らない。彼は准将であったので2階級も特進したのであろうか。Sutopoかも知れない。呪術にかかったのであろうか

2020年5月 8日 (金)

BMKはChampでBakwan

サリナーデパートの地図を見ると多くのレストランがあることに気付く。昔からあるマクドナルドやケンタッキーは別として、Platinum Café(この前はManchesterか)の他、Champ Resto(この前はChilisか)、Gokana Ramen & Teppan や Raa Cha Suki & BBQなど聞いたこともないが旨そうだ。Excelso、BMK Karapitanも見える。レストランではないが、インドサットのOoredoo Outletなど豪華で広々、ゆったりの清潔感あふれる雰囲気である。日本のスマホショップなどとは、桁違いのサービスだ。ただ小生は日本からGoogleやマイ・アルバムから推定しているのであって、何が起こってもおかしくない時代、変わっていたら謝るしかない。 00champ-catalo_20200508115601少しPlatitumなど調べてみようと検索をかけている内にこれらの多くが PT Champという会社が保有していることが解った。調べる気になったのはあのHardRockが追い出た跡に居座っているので外資の何かかと思ったのであるが、そうではなくローカルの新進企業で、次のユニコーンになるのかも知れない。輩下のレストランは、繰り返しになるが、Platinum restoはIndonesia, Jepang, Amerika, Chinaなどの料理を供する店で全国約23店舗で、Gokana Ramen & Teppan(日本のラーメンで日本語の”豪華な”を名前にしている。既にこれだけで39店あるらしい。)Raa Cha Suki & BBQ、(タイ式か)、BMK(Bakso Malang Karapitan)そしてChopstickがある。 これらをスマホで出前注文も出来るサービスサービスをGobik(a one-stop 4-in-1 delivery)を行っている。だからこのレストランは4種類の日イ米中の料理を供しているのだ。 この会社は1997年バンドンで旗揚げしたようだが大手ではなく多分若者数名がやっているのではないだろうか、今IPOの準備をしているがオーナーの固有名詞は今は明かされていない。本社はこのサリナデパートの12階に置いている。 00bakwan-teebox_20200508115701 BMKのどんぶりで思い出したが2000年代にかけて良く食べに行ったWijayaのバクワンが懐かしい。確かスラバヤ名物でジャカルタでは珍しい時代だった。我慢できずGoogleの写真を借用した。 自分自身の写真は隣のTeeboxというRestCafeであるがこの左手の階下である。写真では見えないが2階もテラス式であった。どちらも絶対今もあると確信できるが。。00bakwan-teebox

2020年4月29日 (水)

SimatupangとKartiniのAvec道路

SimatupangとKartiniのAvec道路 Simatupang通り添いに東急不動産が開発したコンドミ2棟、ブランズ・シマトパンがたっている。 ブランズ・ブランドの2号目で、インドネシアで開発・設計・施工すべてを日系企業で推進する分譲マンション事業の最初で、建設も大林組が施工した。ネットで見る出来栄えは素晴らしくすぐに決めたくなる。 ブランズ・シマトパンと言う呼称ではあるが、住所はSimatupangでなくKartini(Jl. R.A.Kartini No.10, RT.10/RW.4, West Cilandak, Cilandak)である。 Jalan Kartiniはジャカルタ北のGn.Sahari通りの対岸地区に沢山あるので、注意が必要だ。 昔の小生のシマトゥパン通りの紹介文では“ジャカルタ南部を東西に走る(高速の)外環通りでポンドクインダーとパッサルミングー通りの間の長い通りで、真ん中の高速を挟んでパッサールミング方向へ向かう道がそれで反対側のポンドックインダーに向かう側の道はカルティニ通りと名付けられている。”としていた。 その後この道は高速の完成に併せ、東西に長く伸びているが、現在のGoogleでは道の方向(南側北側)の区別でなくFatmawati通りとの交差点から東がSimatupangで西がKartiniである。従いBranzの住所記載は正しいが、呼称が間違いと言えば間違いである。 この外環通りの高速の完成はつい2~3年前であるので、高速がなかった時代か、着手した時代はSimatupangと呼ぶのが一般的であったのではないかと思う。だから先にブログしたFIF TowerからPondok Indah交差点に至るまでの、Siloam 病院もMercure Hotelも Swiss Belinnホテルも呼称は全てSimatupangである。そしてその後Kartiniが付加されたかどうかだろう。 この二つの通りの東西は西はBintaro Pesanggrahanであり、東はTanjung Timur を超えてJagorawi高速の所までも伸びている。 00-jalan-simatupangここの部分の高速JORR完成後に走った高速の写真は、1時間探したがパソコンから紛失していた。 代わりにこの写真を掲げよう。これも、現物は消えているかも知れない。貴重品だ。    00semprot-tribunTribunJakartaのネットからはこの写真で、これもコロナであったが、消防車で消毒している所は、ある意味で東京都へのレッスンを含んでいるだろう。

2019年10月10日 (木)

Dr.Suratmoと言う道路

00jembatan-merah08-mar-113-2 道路の名前にSuratmoと言うのと出会った。

Suratmoでgoogleすると軍人しか出てこない。軍人のSuratmoは“退役陸軍少将で2014年に陸軍ロジスティック部門を指導した。クラテンの旧家の子弟で1983年東チモール戦線で功績を残した。”と出ているだけである。  Suratと言う名前なら何人かいるがDr.を付ければ内科の医者であろうか MoはMissouri州の省略形のようだが、いまだ存命中で名前が残るはずはない。この道はPangerang Jayakartaの方が有名過ぎてSuratmoを使うこともなかろうと調査を諦める。。

ここはタンゲラン側のPangeran Tubagas Angkeの始めから市中心に向かい一旦途切れた後、コタ駅近くでチリウン河添いのPamgeran Jayakarta通りに入ってきた道で、交差するGunung Sahari通りを越えるとIndustri通りでクマヨラン地区に入っていく。 Genung Sahariの手前の橋はスラバヤにある有名なJembatan Merahと同じ名前である。Jembatan MerahはBogorにもあり、又カリブサールに架かった観光橋もこの名前で共にブログで紹介した。

Pangeran Tubagas Angkeの起点の近くにJembatan Besiがあり中間のコタ駅の近くがJembatan Batuの地名がある。 BesiとかBatuは橋の材質をあらわすもので橋の名前ではなく地域の名前となっている。 Jembatan TigaやJembatan Limaなども道路や地域の名前である。

2019年9月25日 (水)

海兵隊の三勇士の道

Prajurit KKO Usman dan Harunの道

通りの名前に二人の名前がつけられたものがある。二人の名前は1968年にシンガポールのチアンギ刑務所で処刑されたUsmanHarunで、1943年と1947年生まれであるので、Harun21歳で、Usman25才で国家的英雄として散った事になる。

二人は1963年スカルノのマレーシア対決で、警戒命令Siaga Komando作戦に義勇兵として参加、1965年3月、あと一人のGaniと3人でゴムボードに爆弾を積みシンガポールに侵入、町の中心のマクドナルドを標的に爆発させた。 二人は逃走中見つけたモーターボートが壊れていて逮捕された。二人に死刑判決が下され、インドネシアとマレーシアの関係修復後の1968年絞首刑となった。あと一人のGaniは逃げおおせたのであろうか、死ななかったので爆弾三勇士とはならなかった。

00marini-2006 Prajurit KKO とは海兵隊の兵士で二人は下士官(Usmanは軍曹)である。KKOとは正式にはKorps Komando Angkatan Laut (KKO AL)であり現在はKorps Marinir海兵隊となっている。

この道はGoogle Mapに依るとDr.Abdul Rachman Saleh通りがKwitang 通りに出てきてパッサールスネンに向かう、ほんの100m程度にこの名前が出てくる。

GooglではMapの更新や拡大機能では新旧の出たり消えたりで確認が難しいが、或いはKwitang 通りが全部が新たな名前に変ったかもしれない。この通りはその前はJalan Perapatanとも言われた歴史もある。 たった100mとは悲しい話であるので全部だと思う。 証左を挙げると、チリウン河岸のGunung Agung書籍店の向かいKorps Marinirの司令部(mako)があり、そのチリウン河に沿った小道からこの郡の敷地の全ての道の名前がPerapatan なのである。

此方はスネンの筋違い

00senenmal-2

2019年8月30日 (金)

ジャカルタ市内駅舎3題

St. Grogol, Palmerah, Serpong

00st-nakayama2019aug 鉄道駅を見るとすぐカメラを向ける癖で撮った写真でインドネシアの駅を思い出した。 向こうに見えるのは京成の東中山駅である。駅を出ると線路沿いの小道を通って大通りに出る。

 

 

 

 

00stnbsd2014_0033-2同じ仕組みがセルポン駅であるが駅舎自体は線路をまたぐ2階建てであり、今考えるとより近代的だ。しかしこの時もそうだがインドネシアの駅はパッサールなどの奥にあり、自動車で近づけないことが多い。 近づきながらタッチできなかったタンゲラン駅やドゥリ駅がそうだった。

 

 

 

Tentera-pelajar-permata-palmerah-15-aug-パルメラー駅も自動車が停車する事すら出来にくい状態だったが数年前リノベされ駅舎が2階建てになり且つ補助通路も出来たのでそれは改善されたであろうか。Jakartaでは地下鉄の工事が始まった頃からTOD構想の話が引きも切らずあったしMRT陸上部の駅は最新のものがお目見えしているであろう。

 

 

 

 

00grogol-stb それとは関係ないがどんどん綺麗になるなぁ!カメラを向けたのはグロゴール駅であったがもう3年前のことであった。しかし危険性は考慮されてないようだ。