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インドネシア産業 経済人

2020年9月 7日 (月)

ヘンリー・ザ・プロ

スハルト時代のproに、あと一人残っているのがHenry Pribadiである。Bambangとも近く、又Tututとも高速事業で協力していた。もう何十年もインドネシアの富豪に列しているが、2018年でも資産$515百万として83位で、現在73才と未だNawa Panduta (Napan) Groupを率いているようだ。
グループの事業はPT Citrabumi Sacna(CBS Holdings)のもと石炭、アグリ、商業、建設、不動産をカバーしている。彼はSalim家とも近く(brother of the Djuhar Sutanto)、他にRisjadson グループやEMTEKグループ(SCTV)の Sariaatmadja familyとも緊密である。
グループの上場会社としてPT. Argha Karya Prima Industry Tbk (AKPI)があるが1982年操業のPP、PETフイルム等製造大手である。会社は同業では14社中8位の有配会社で2020年、US$ 3 millionの設備投資を計画している。
この会社の幹部として以下の名前が見える。AndryとWilson, 或いはRisjadは当初の1970年代の共同創設者に違いないが、Henryの名前は見えない。(Henry Liemは別人)
• Andry Pribadi監査役会長
• Amirsyah Risjad監査役
• Brenna Florence Pribadi監査役
• Henry Liem監査役
• Johan Paulus Yoranouw独立監査役
• Widjojo Budiarto独立監査役
• Wilson Pribadi取締役社長
• Edward Djumali取締役
• Elius Pribadi取締役
• Folmer Adolf Hutapea取締役
• Jeyson Pribadi取締役
• Jimmy Tjahjanto取締役
他にIntinusa Selareksa、Sumatra Fibreboard、Lumbang Flour Mill、Pasar Pagi Magga Dua、Grand Candi Hotelなどの会社名が見える。
Juharとの関係からバンバン周りの4人のギャングと言われた人々やそれに蝟集する人々と学ぶことも多かったのであろうが、後にはChandra Asriという巨大な権利をめぐってPrajogo Pangestuや更なる大物Sudwikatomonoとも対立したり、もめたりした話も続く。若い時はバスケットでのロングシュートで有名な背が高いハンサムな男だったと聞く。

2020年9月 2日 (水)

St. Regis ResidencesでRajawaliを確認

St-regis-yang-mana
一寸前の8月17日、St. Regis Residencesのトッピングセレモニーがあったがそのニュースのポイントは65(55?)階の高層ビルで195ユニットで355ft2以上で、販売金額は250百万ルピア・ユニットの高級アパートで2022年完工というもので、隣にThe St. Regis Hotel Jakarta とオフイスビルとセットしたコンプレックスを形成している。主体はPT Permadani Khatulistiwa Nusantara (PKN:社長:Ferry Maruf)でRajawali Property Groupである。
RajawaliやSt.Regisと言うと小生は頭が混乱するので、Google Mapを確認すると、ここはラスナ通りの貯水池添いでSudirman駅からLRT鉄道線が来てRasuna通りに入り込む地点(工事中)で、そこにSt. Regis Hotelが建設中でありその隣が昔のRegent ホテルである。元Regentホテルの正面はFour Seasons Residenseの豪華な高層マンション4棟が昔から(およそ10年前か)建っており、この所有も先に上げたPKNの所有が確認され、且つ又、元Regentホテルはもうホテルの名前もなく代わりにPKNの表示がある。そしてここ一帯がRajawali Placeと表示されている。 多分元のRegentホテルがオフイスビルになるのであろうか。少なくともこの高い方のビルにSt. Regis Hotelが入るはずで有るのでビルの中でのMixed Usedである。 少なくとも元Regent HotelはAppendixになろうか。ここはRegentのあとFour Seasons Hotelと呼称した時代もあったが、今、その名前のホテルはGatot Subrotoにある。そしてこちらは逆に昔、St. Regis Hotelの名前で建設計画の看板がありその旨ブログ(“Starwood-Rajawali-St.Regis Hotel”、2014年1月)
したことがある。 その時追加でアップした写真がSt.Regisの表示があったので、Rasunaの方と勘違いしたのでこれを修正するのが今日のブログの趣旨である。 St.Regisホテルの名前はジャカルタでは2007年頃はSudirman通りに計画され、それがGatotに変わったあと、結局はRasunaになったことになる。ついでにいうとこのGatotのコンプレックスもResidenseとHotel(Four Seasons)とオフイスビルの3点セットでこちらはCapital Placeと称するも、同じRajawaliグループである。


2020年8月17日 (月)

未だ居た知らない富豪Aksa Mahmmud

Bosowa-berlian-mitsubishi前回のWinarkoの際はインドネシアのビリオネアが15人ぽっちではないとForbes Asiaの50人リストを見ると又知らない富豪に出会った。こちら Aksa MahmmudはWinarukoと同じ74才である。この年齢になるともう引退しておるはずで事業(財産でなく仕事)は子供に譲っており、報道などにも出ることは少なくなるので知らない富豪となる。彼はスラウェシ出身で元大統領Jusuf Kallaの義兄弟となるが、複合企業 Bosowaグループの創業者である。純資産は7.7億ドルでインドネシア第44位となっている。
Bosowa グループはセメントの他、不動産産業、自動車産業、鉱山エネ事業、金融等も事業を行う複合企業である。セメント生産キャパは合計7.2百万 スラウエシのMarosが4.2百万トンの他東ジャワBanyuwangiで1.8百万トン、バタムが1.2百万トンである。自動車部門は1978年に日本の自動車販売会社ダットサンを皮切りに、現在は三菱の独占販売代理店の他トラック輸送、タクシー業も行なっている。不動産業はマカッサールのホテルHotel Imperial Aryaduta 及び Novotel Makassarの他、病院なども運営している。大理石の取り扱い、2x125MWの発電、LPG ターミナル、マカッサールやバニュワンギの港湾事業他、建設業等々迄手を伸ばしている。氏は正式には H.M. Aksa Mahmudで1945年生まれ、ハサヌディン大学卒のKAMIの世代である。1968年グループを創業、拡大しつつ、政治にまで進出、2009年までゴルカール党でDPDの議員であった。子供は5人、ただ、末っ子のSubhan Aksa氏は、2013年のリアウ州道路建設に関して証人としてKPKがらみの報道の中にいる。
なごうべとはここかな

2020年8月13日 (木)

タン・シオン・キーも消えてムクティ

Sasa vs Ajinomoto
20200813-2
久しぶりにロダマスグループの名を見たがその創始者のTan Siong Kieは,
2017年に101歳でお亡くなりになっていたということで、最近インドネシアも長寿になったなと思ったが、エカさんもチプトラさんも皆華人の富豪であったからだと思いなおす。
タン・シオン・キー(インドネシア名はHanafiaだった?)は漢字で何だったかなと思い出そうとしたが段祺瑞しか思い浮かばない。彼は名前からして馬賊だったかな。

ロダマスグループの設立は1953年であり、やはりその全盛期90年代初めであろうか、サリムに次ぐ位置に持ち上げられていたが、それは殆ど日本企業と手を組む事が多かったからであろうか 一番大きなパートナーは旭硝子であろうか。今でも二世Mucki Tan or Tan Pei Ling、(養子かこの項不確か)が会長を務めている。一二を争うのが花王石鹸、旭化成、その他三菱AC、久光製薬、大日本印刷DNP,雪印乳業、Lixil等がある。最初の切っ掛けは68年のササ調味料であったようだ。代表16社があるが、Purwokerto のRoda Mas Hotelもある。

サイトは日本語で展開しているが内容は乏しく余り、日本の名前での紹介はないので洗剤やラーメン・飲食品など製品名などと共に、自力でやって来たことを誇るかの様だ。
Mukti Tan氏は2016年純資産6.6億ドルのインドネシア富豪第55位に数えられた57才である。(2019年では6.85億ドル) 不確かながらMukti=Pei Lingとしたのは、Muktiの卒業大学がオレゴン大学であり、別の記事でPei LingはUniversity of Portland/ORとあったからである。
MSGは日本の池田博士が発見したものであるが、Sasaはインドネシアで1973年 "Sari Rasa" (まさに味の素の意味)としてRodamasが売り出したもの。Koreaかと思った。

2020年8月 6日 (木)

世界の富豪の中の見知らぬ人 ウィナルコ

少し失礼なタイトルで有るが、2020年のフォーブス富豪の中にインドネシア人として新人が居た。

Photo_20200806221701調べると彼Winarko Sulistyoは既に74才であり、包装紙・メーカー Fajar Surya Wisesaの創業者でその保有株の45%をタイのSCGに売却したのが寄与したらしい。
以前はどうだったか、調べると、2018年、2013年、2008年ともForbesでは出てこないが、2016年Globeではビリオネアとして居たので、新人ではない。単なる雑誌編集の違いであったのであろうか。
このFajar社のマーケットシェアは30%とあり、また株主の異動調査から分かったことは、Winarko氏は100%近い株を保有しその55%をSCGに売却し残りは保有し続けているはずで、ポジションも監査役になっていた。但し1988年Fajar社設立には元経済大臣Airlangga Hartartoも共同創業者になっていた。そして彼は PT Surabaya Agung Industri Pulp & Kertas(上場停止中)の創業者(1973年)でもある。

インドネシアのダンボールメーカーとしては日本のレンゴー社がインドネシアのインドフード社と合弁でSRC(Surya 6 : Rengo 4)を設立し4工場(JKT2+SBY+SMN)で展開していたあと、買収を重ね7工場体制となっている。上記の他、この4月、王子製紙が55%シェアーで合弁Oji-Sinar Masを設立している。
紙パ業界にはシナールマスのインダーキアットやチミキミア社などもあり、身近な紙であっても業界事情はあまり肌にフイットしないことが多い。(30%市場シェア―は巨人達を相手にしては多いような、あるいはこれでビリオネアに繋がるには少ないような、売却しようが保有してしたままであろうが富豪の純資産の多寡は資産内容が、株から現金になったとかで急増はしないはず)
立派な工場写真は借用した。

2020年8月 5日 (水)

Indocementと SemenIndonのビル

00indocement-sudirいつも通っていたスディルマンの入口のインドセメントのビルは1階にオランダ人がやっていたパブレストがあったので何度か行ったがあんな昔からIndocementは何か欧州に関係があったのだろうか。今は本社もあるが、レンタルオフイスとしてもやっている。隣がブミプトラビルでこちらもレンタルもやっているが日系事務所店子は2社のみだった。主たる本社機能はやはりチビノンにあるのだろう。そちらの住所はKompleks Pabrik Citeureup Jl. Mayor Oking Jayaatmaja, Citeureup Bogorとある。
Semen-gresik-kantor-dan-alamatnya
国営のSemenIndonesia の本社は何処かと思い浮かべると何も出てこない。そのはずだ。この会社はSemen Gresikto言っていたのでスラバヤにある。AMELIA FIRDAUSさんのサイトから借用したが、ジャカルタはメガクニンガンにある。
Kantor Perwakilan Jakarta The East Tower lantai 18 Jl. DR Ide Anak Agung Gde Agung となっていた。こちらはGoogle mapからの借用である。
00semenindo-jakarta-megakuningan-google
名前が似ているから映像でも印象付けておかねばならない。

2020年7月30日 (木)

アストラインターの経営トップ

アストラゼネカのコロナワクチンで思い出したが、インドネシアのアストラ・インターナショナルの幹部の交代があったようだ。ニュースは6月16日、ヘッドラインは「アストラ・インターナショナル、ジョニー副社長が社長昇格」というものであったが、同日の株主総会で前任のプリヨノ氏が会長になっていた。
Astra-jakarta-post-w644始めてしったが、二人ともと言うか、もう昔から、トップは生粋のアストラ人の様であり、会社を支配するあのジャーディン・マセソンからの、例えば英国人などの人材ではなかった。 日本の財閥に宗家が見当たらないように、ウイリアム家もジャーディン家も正面から消えていく時代になって行くのだ思い当たったがどうだろ言うか。
1990年組とでも言えそうな二人の経歴を並べて見る。

Djony Bunarto Tjondro 1964年生まれ、Trisakti 大卒+Mt.Eliza、1990年入社、
前ASIIのVP、Nissan Diesel、Isuzu、ASFのトップを兼・歴任

Prijono Sugiarto 1960年生まれ、独Konstanz大卒、Bochum大Dipl.、
前:United Tractorや Astra Honda Motor、 Astra Agro Lestari、 Astra Otopartsなどの会長を兼任、Toyota-Astra Motor副会長などを歴任、

Prijonoの父も1960年代に本田N360 などの組み立てのエンジニア・開発に従事しPrijonoをドイツ系のSMAから学ばせた。彼はDjonyと同じ1990年にAstraに入社したが、その前に4年ほどダイムラーベンツで働いている。

パンデミックの中での辞任と書かれているが、会長に上がるのは日本流の会長に引くという感じなのか、前任はBudi Setiadharmaであった。又日本人の監査役も辞任した。ASIIの配当は総額6兆ルピア、この50%がジャーディにはいるわけだが、失政的なことではないようだ。社長になったのは2010年である。
平の役員にはなるほど英国人かと思われる人もおり、監査役に宗家の名前William Kezwickも見える。

スデルマン大通りの最高級ビルのアストラ本社ビルをいるたびに、その前にあった建物が思い出され、立派になったものだと不思議な感興におちいる。
しかしコロナに対することは、早く過ぎ去ることを祈るだけで、何も言えない。

2020年7月27日 (月)

Gresik Rajawaliの今

先に登場したSemen Gresikは15~6年前、新聞を賑わしたこともあるが遠い昔、遠い日本から、古くなった頭ではストーリーが繫がってないことが多い。色々調べてみたのでこれ以上の知りたくなることはないだろう。インドネシアのセメント産業は世界どこでもそうだろうが輸出に廻らない地場産業で、インドネシアの国土と開発の歩みから生産大国であったがその中で大手は国営でPT. Semen GresikやPadang、Tosana、Kupangなどがあった。Gresikの規模は、時期はずれるが2015年で15百万トンであるので、日本にもない世界屈指であったろう。そこに食指を伸ばし、金が欲しいイ政府から買収したのがメキシコのCEMEXであったが、
00mrajawali-2008-mar-003-2
後にこれに、し返したのがRajawaliグループ(Peter Sondakh)である。買収の詳細まで遡る必要は無かろうが、それは2006年頃で5月初めメキシコのセメックス社が保有したセメングレシック社の株を3.37百万ドルで購入し24.9%の株主となりセメント産業に参入したのである。
それ迄にも、既にタバコビジネス(Bentoel社)と通信ビジネス(Excelcomindo:XL Mobile)、ホテル(Sheraton), リテール(Metro Depart)及びタクシー(Express)を持っていたので、これ以降更にRajawaliの繁栄は約束されたようなものであった。
彼はメナド出身で22歳で父が遺したパームや木材を引き継ぎRajawali Corporaを起こしたが、シンガポールの土地やBumi Modernの土地もあったか、これが起爆剤になったのであろう。しかしスハルトの次男のバンバンとの事業も特筆ものである。その一つがインドネシの高速事業の民間開放時期と同じくTV放送事業も民間開放のとなりそれがRajawali Citra TV((RCTI)であり、又バンバンの4人組やシナールマスとのPlaza IndonesiaやGrand Indonesia ホテルにも参加している。
しかし1998年発生のアジア通貨危機・スハルト崩壊を機に、49社にも昇るRajawaliグループの債務は2兆ルピアと多く、17社を政府機関BPPNに取られることになる。
時間を急ぐと現在のグループは不動産、鉱山、メデイアが中心の投資会社となっており、年齢は未だ70才ではあるが昔の派手さはない。堅実に帰ったのかも知れない。
Guardian、RCTI、Bank Posなどは手放し、中には破綻寸前を救ったタバコ・Bentoel社も多分利益を得て売却(英国のBAT社)した、ExcelcomindoもマレーシアのTelkomに売った金がSemexからの買収するための資金になったようである。一時ブルーバードに次ぐ良質なタクシーとして起こしたExpress Taxiはその後、齟齬をきたし、MNCに売却している。そういえばRCTIもバンバン共々MNCへ手渡している。
現在は、B-Channelを買収している他、Velo Network、金鉱のArchiやGolden Eagle Energyを所有HotelはHotel Hyattを始めNovotel Hotel、Surfers resort Hotel(Aust)、 Regis Bali、Regis Rasuna(Starwood)、Four Seasons Jakarta、Westin Gamaなど最高級ホテルをもつ。
子どもはクラウディアというお嬢、他3人となっている。3面記事の同じ姓の人は知らない。念のため。
00rnihttps://jakartan2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/00rni-thumb.jpg?1595810121290
FORBESの富豪50の常連でインドネシアで6位とか上位に居たこともあるが、直近の2019年でも純資産20億ドルの16位とかである。
写真のRNIは本社ビルか他のRajawali Nusantaraと混同する。Property 部門の本社はMenara Rajawali(冒頭写真2008)であるが、かれらのサイトには所有物件としては触れられていない。

2020年7月21日 (火)

西に延びる新高速BALARAJA 2本 合計4.5本

Kamal_teluk_naga次なる高速建設の予定として挙げた10プロジェクトはCNBCのMay 29,2020の報道であったが、一方昨年7月の報道で2019年末までに入札をおこなうものとして7つがあげられていた。それは
1. Semanan – Balaraja toll road along 31.90 km,
2. Kamal – Teluk Naga – Rajeg along 38.60 km,
3. Patimban Port Access along 37.70 km,
4. Gedebage – Tasikmalaya – Cilacap along 184 km,
5. Solo – Yogyakarta – Kulon Progo along 91.93 km, and
6. Yogyakarta – Bawen along 77 km.
7. Balikpapan – Penajam Paser Utara toll road bridge along 7.35 km.
10件とダブるのは3.と5.だけであるので残りは計画通り入札もおこなわれたのであろう。
そしてその時Semarang-BararajaはSemanan-Balarajaの間違いではないか述べたが、その根拠となるニュースソースがこれ(上の1番)である。
この路線はタンゲランの南のメラック高速に対し タンゲランの北を走る高速でSemananはジャカルタ市内の高架高速計画線の一つ(Semanan-Sunter)に繋がるポイントでカリデレスにある。バララジャは最近脚光を浴びているがタンゲランとセランの間の既にメラック高速のポイントでもある。この路線はタンゲランの大規模複合都市アラームスーテラの事業グループと国営PTPPが行うものの様である。

そして2番目のKamal – Teluk Naga – Rajeg along 38.60 kmについて説明すると、これはSalimグループが手掛けているようで、その始点Kamalはスカルノハッタ高速の高速が曲がっているところでそこから、北に延びてタンゲランの北の北岸を目指す所のTeluk Naga(ドラゴン湾の意味)という村落都市でそこから大曲に南に下りBalarajaから来る高速とRajegという村落都市で繋がる。最初の小生が作成Map⑪番目でSerpongから出る線とCengkarengに入って来る線が見える線である。その時は11番はSerpong-Balarajaとして挙げていたものである。実際は、Rajegでは1番のSumanan―Balarajaに合流するものである。又KamalはJORRとの接続点で、JORRが北に延びてジャカルタ湾埋め立て島Dに繋がっているが、そこのKamalではなく、あと一つ飛行場寄りにKamalはある。
このタンゲランの北は小生も、確かその方向に日系の繊維工場をちょっとのぞいた記憶が或る程度で工業化が宿命の農村地帯のイメージである。唯この線は3番目の外環道路 (JORR3)が意識されているのかも知れないがそれは次のテーマにしよう。巨像の小さな部分を謎っているような気持である。
尚7月11日 別の日イのはてなブログで東京とジャカルタの放射高速道路網で西に向かうのは4本と述べたがそれは①Merak線、②BSD線、③Sudyatmo(飛行場)線、④Sumanan線、⑤Tuluk Naga線の4.5本であった。

2020年7月20日 (月)

HAMKAの疑問符列伝

このブログでは不動産関連のブログが多いが、中には、特に外国人には掴みずらい相手もいるので注意しなければならない。昔Handokoから探し回ってBenchokに行き着いたが、今十数兆ルピアのスキャンダルで逮捕された事件となったものもある。
このタイトルのHamkaは注意報ではないが、あまりに調査困難に遭遇するので並べたくなったものである。この関連の最初のブログは5月25日で「本当のハムカの信念 blak-blakan Hamka JOSEF」で将にblak-blakanとは実話を明かすと言うような意味である。そのときこのヨゼフではないJusuf(あと全て敬称略)は高速道路建設・オペレーターのCMNPのボスで子供2人Fitri(娘:会長)、Feisal(Dir)とCMNPを牛耳るまでになっているムスリムの華人である。
1. CMNPをやりながら貧民(dhuafa?)救済を目指した店(Pojok Halal)を展開しているが その広告に711のロゴ(に似たやつ)が使われている。
2. 父(仮にBuyaとしておく。1908-1981)はイスラムの大物であり、この華人を養子にしたもので有ることが解った。そのこと自体が珍しいが子沢山の中での話である、今Jusufは高速の下の空間にモスクを建設しこれを全国に1,000モスクを目標に展開している。
3. Buya Hamkaは2010の記事HAMKA Layak Jadi Pahlawanで英雄候補になっていたが小生の2019年版英雄リストでは見つけられなかった。後で調べると2011年に叙勲されていたが名前はHaji Abdul Malik Karim Amrullahで、これでは見つかるはずがない。
4. この疑問はWikiに出ている通り本名は確かにHaji. Abdul Malik Karim Amrullahであるがこれの頭文字を集めるとHamkaになり、彼はこれをペンネームとして使っていたのである。それではHamkaと言う名前は別人に居ないのだろうか
5. 偶々YouTubeで日本占領時代のPetaのストーリーがあったので見ていると、日本軍が作った郷土義勇軍PETA創設にはマスマンシュールやこのハムカの名前が出てきている。
6. 彼はマシュミ党(元日本軍が統合したムスリム政党)やMUIやムハマディアのトップ・幹部を歴任したわけである。そして今一つ引っかかったのはProf.Hamkaという側面で職業紹介にulemaと同時にphilosopher, writer, lecturer, politician & journalistがあり、Al-Alzar大やMurutomo大から招かれたりと、そのWiki解説は長いが、養子のJusufについての触れた個所はない。
7. Buyaは確かムスリムの古い家系かも知れないがサマリンダ出身のJusufの家系はあまり出てこない。スナットの思い出など読まされることになる。 大学は名門「1945年8月大学」やコロンビア大学などが出てくるが証書はない模様。
8. JusufはJokowi大統領の会計チーム、 プラボオ組を応援した とかCendanaに近、或いはWinataとも近い話はエピソードもなく触れる程度であり、なぜTututが支配したこともあったCMNPのトップになりおおせたのだろうか。
9. Tututの弟のバンバンの身代わりになったのはMNCのバンバン(H.T:Bimantaraの社長もやった。2013年はハヌラで副大統領候補にも)だと思っていたが、いつの間にか敵となり、このメディア部門の戦いの最後はTututと対決し、TututのTPI破綻をH.Tの融資で切り抜けた筈が破産の判決でメデア部門で勝利を奪われた。
10. 一方Tututが押さえていたCMNPでも、敵対相手はH.Tがおり、その戦いの中でTutut側で共に立った人にJusuf Hamkaがあったようだが。。2010年当時はTututの娘がCMNPのトップ、2012年問題銀行CenturyをCMNPが買収劇があり、資金はJusufか、政治的な動きと共にJusut がCEOとなる。
11. Jusufはチェンダナに近いIndomobil やIndosiarを動かす力があり、政党も持っていたが時間軸は置いておく。要するに政治家でもあった。
未だ突き詰めるとと疑問は出てこようが、主たる点に触れた断片的報道をなんとか読める点を繫いだものである。 こうした関係を類推確認できるニュースはその後出てこない。
E&OE

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